明経科
明経科は、隋唐期の科挙において経書の素養と訓詁能力を測る基本科目であり、経典の素読・解釈・条文の正確性を重んじる実務官僚の登用ルートである。とりわけ『五経』の章句理解、故事典拠の提示、時務に即した経義の運用力を評価し、地方推薦から中央試験へと至る過程で学統と人物を併せて審査する制度として整えられた。
成立と背景
明経科の母体は漢魏以来の経学試験にあり、隋の制度化を経て唐で本格化した。中央集権の運営にあたり、経典を共通言語とする統治理念を担保する必要があったためである。ゆえに『易・書・詩・礼・春秋』の章句と義理を国家標準として整序し、地方の学校・書院での教育と連動させ、全国規模の人材プールを形成した。この枠組みは唐代の制度と文化の学術基盤を支える役割を果たした。
試験内容
明経科は経典本文の正確な暗誦と書写(帖経)、句義の短答(墨義)、章句の解釈(経義)、そして時政に即した論述(策問)から構成される。本文の誤脱や字形の混同は大きな減点となり、訓詁の出典提示と論理の整合性が厳密に問われた。口試が併用される場合もあり、声音・節奏・条理が人物評価に直結した。
出題領域の類型
- 帖経:指定篇章の正確書写と句読の整序
- 墨義:章句の語釈・通釈を短答で提示
- 経義:他経との会通、典拠提示、異説批判
- 策問:経典の義理を時政問題へ適用し是非を論ず
評価基準と合格者の進路
採点は正確性・典拠・文理・時務適用の四点に集約された。合格者は主に実務官僚としての初任に就き、文案・条令・訓詁を多用する部署で力を発揮した。たとえば詔勅草拟や政策審査を担う中書省、諫奏や復核を担う門下省、文案と施行を所掌する尚書省など、三省六部の各局に配置されることが多かった。
秀才科・明法科との比較
秀才科が文学的教養と作文能力を重んじ、明晰な表現・辞章で抜きん出た人材を汲み上げたのに対し、明経科は経典に根差した規範運用と訓詁力を核とした。法令解釈を専門とする明法科が律令格式の運用を主体としたのに比して、明経科は経学の規範をもって施政の判断基準を与える点に特色がある。結果として政策形成と実務執行の橋渡し役を多く輩出した。
唐代における変遷
初唐には学統の整序が優先され、中唐以降は策問の比重が漸増した。特に高宗期の国家規模拡大とともに、地方出身者の登用拡大が図られ、州県の学校・郷挙里選の伝統と科挙選抜が接続した。受験熱の高まりは教育機関の整備と注釈書の増補を促し、経義の標準化が進んだ反面、答案の類型化や旧注偏重への批判も生じた。
運用上の調整
- 試験篇章の循環指定による暗誦偏重の緩和
- 策問での時政命題導入による応用力の確認
- 地方学校の課程整備と推挙制度の規範化
地方と中央の接続
受験者は州県から推挙され、中央での再審査を受けた。地方行政の基礎である州県制は学事運営とも連動し、郷校・県学の教員が素行・学業を具申した。中央では三省の官人が試問に参画し、文案能力・制度理解・人物見識を踏まえて配属が決せられた。
統治機構との関係
明経科の登用は、詔勅の起草・審査・施行という三省分業に親和的であった。中書の起草には経義の整合、門下の覆審には論理と典拠、尚書の施行には条令の文案処理が要るからである。政策監察や官吏糾弾を担う御史台においても、訓詁と条理に通じた人材は弾劾文の作成や法理整序で重宝された。
官途と配属の広がり
合格直後は散位や書令史などの文書職を経て、やがて属官・郎中級へと昇進するのが通例であった。辺境行政での実務経験を積ませるため、節度使府や防禦使配下、あるいは外地の行政拠点である都護府に出仕し、政策文案の整備や戸調・軍需の文書処理に従事することもあった。
教材・学統と注釈学
明経科の学習は、標準注釈の熟読と音訓・字形の統一から始まる。答筆では例証の豊富さと典拠の正確さが求められるため、章句の「会通」が要諦となる。異注併記の比較批判、史実との符合、制度文書への落とし込み――これらは官府文書の作成・審査に直結する技能として評価された。
社会的意義
明経科は、出自に左右されない知識試験を通じて、中枢から地方まで均質な行政文化を浸透させた。経書という共有規範を媒介に、地域差を超えて政策の言語を統一し、文案行政の品質を底上げしたのである。これは三省分業体制の効率化と、唐代の制度と文化の学術的基盤の強化に寄与した。
科挙体系における位置づけ
進士科が選文・策論の華やかさで名声を博したのに対し、明経科は制度運用の現場で堅実に国政を支えた。表章や檄文の妙よりも、条理・典拠・可否の均衡を重んじる性格は、行政の持続的安定に適合したのである。かくして、三省六部の日常運営における「見えざる背骨」としての機能を果たした。
関連項目
- 秀才科:辞章・作文中心の登用科目
- 中書省・門下省・尚書省:三省分業の中枢
- 三省六部:中央官制の骨格
- 御史台:監察と糾弾を司る機関
- 州県制:地方行政と教育・推挙の基盤
- 都護府:辺境統治の拠点
- 唐代の制度と文化:制度と学術の総覧
- 高宗:制度運用が進展した治世