日英同盟|ロシア牽制の英日軍事同盟

日英同盟

日英同盟は、日本イギリスが結んだ軍事同盟であり、最初の条約は1902年に締結された。東アジアにおけるロシア帝国の南下に対抗しつつ、中国・朝鮮半島での利害を調整することを目的としていた。同盟は1905年、1911年と改定され、第1次世界大戦期の国際関係にも大きな影響を与えたが、1923年に失効し、その後の太平洋地域の国際秩序はワシントン体制へと移行していく。

日英同盟成立の国際的背景

日英同盟成立の背景には、19世紀末の世界的な帝国主義競争があった。シベリア鉄道の建設などを通じてロシア帝国は極東への進出を強め、中国東北部や朝鮮半島に強い影響力を及ぼしつつあった。他方、ヨーロッパでの勢力均衡に忙殺されていたイギリスは、長く維持してきた「栄光ある孤立」政策が限界に達し、東アジアで自国の権益を守るために新たな提携国を求めるようになった。

一方、明治時代の日本は、日清戦争後に三国干渉を受け、ロシアに遼東半島を奪われた経験からロシアへの警戒を強めていた。清国での義和団事件を通じて列強が中国に軍を派遣したことも、勢力分割の危機を意識させる要因となり、日本は強力な後ろ盾を必要とした。

第1次日英同盟(1902年)の締結と内容

こうした状況の中、駐英公使・林董とイギリス外相ランスダウンとの交渉により、1902年に第1次日英同盟が締結された。条約は主に中国と朝鮮における両国の利害尊重を規定し、一方が単独で他国と戦争になった場合には、他方は中立を守ること、しかし二国以上を相手にした場合には同盟国が武力をもって援助することが定められた。

  • 中国・朝鮮における領土保全と門戸開放の尊重
  • 一方が一国と交戦する場合の中立義務
  • 一方が二国以上と交戦する場合の共同交戦義務

この同盟によって、日本はロシアと対立しても背後から他の列強に圧迫される危険を軽減でき、イギリスは東アジアにおける安価で信頼できる提携相手を得たことになる。

日露戦争と日英同盟の役割

日露戦争(1904〜1905年)は、日英同盟の存在抜きには理解しにくい。実際にイギリスが軍事介入したわけではないが、条約によって日本は他の列強からの干渉を受けにくくなり、ロシアと1対1で戦う環境を得た。ロシアとフランスの同盟関係がある以上、イギリスが日本側に立てばフランスを牽制できる点も重要であった。

戦争中、イギリスは日本に対し、金融市場での借款調達や物資補給の面で事実上の支援を行い、日本の勝利を陰で支えた。日本が講和に応じた後、ポーツマス条約によって南樺太や韓国における優越的地位などが確認されると、日英同盟は改定され、日本の地位はさらに国際的に認められていく。

第2次・第3次日英同盟と第一次世界大戦

1905年の第2次、1911年の第3次日英同盟では、日本の韓国における地位承認や、適用範囲の拡大・調整が行われた。とくに日本による韓国併合(1910年)は、同盟関係の中で列強の黙認を取り付けるうえで意味を持ったといえる。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、日英同盟に基づき日本は連合国側として参戦し、ドイツの租借地であった山東半島の膠州湾や南洋群島を攻撃・占領した。日本は主として海軍力を提供し、地中海での船団護衛などを通じてイギリスを支援したが、その一方でドイツ権益の継承をめぐり、戦後の対中関係や対米関係に新たな摩擦を生むことにもなった。

日英同盟解消とワシントン体制

第1次世界大戦後、国際政治の中心はヨーロッパから太平洋・大西洋を含む広域へと移行し、アメリカ合衆国の発言力が増大した。アメリカは、二国間同盟である日英同盟が太平洋における自国の利益に反するとみなし、その解消を強く求めるようになった。また、イギリス国内でも、対米関係を重視して同盟を見直そうとする声が高まっていった。

1921〜1922年に開かれたワシントン会議では、主として海軍軍備と太平洋秩序が協議され、四カ国条約や海軍軍縮条約が締結された。四カ国条約により、太平洋における英米日仏の相互協議と領土保全がうたわれると、特定二国間の軍事同盟である日英同盟はその役割を終え、1923年に正式に失効した。

日英同盟の歴史的意義

日英同盟は、非欧米国家であった日本が、西欧列強の一員として国際政治に組み込まれた象徴的な出来事である。日本はこの同盟を足がかりとして、日露戦争の勝利や第一次世界大戦への参加を通じ、大国としての地位を確立していった。一方で、韓国併合や中国大陸への進出など、帝国主義的な膨張も同盟の庇護のもとで進められた点に注意が必要である。

また、日英同盟の解消とワシントン体制への移行は、二国間同盟から多国間協調へという20世紀前半の国際秩序の転換を示す。イギリスにとっては対米関係を優先する選択であり、日本にとっては新たな安全保障環境への適応を迫る転機となった。このように、同盟の成立から解消までの過程は、近代国際政治の構造変化を読み解くうえで重要な事例といえる。