新冷戦|アメリカ、ヨーロッパ・ソ間の緊張が再燃した状況

新冷戦

新冷戦(しんれいせん、英: New Cold War)または第二次冷戦(だいにじれいせん、英: Second Cold War、Cold War II)は、1970年代のデタント(緊張緩和)を経て、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻を契機に米ソ間の緊張が再燃した状況や、21世紀の国際社会における大国間の政治的・軍事的緊張の高まりを指す用語である。1980年代初頭のアメリカのレーガン政権の対ソ強硬政策や、2014年のロシアによるクリミア併合後のロシアと西側諸国の対立が具体例である。

背景と定義

新冷戦とは、21世紀の世界における経済的・軍事的な緊張や地政学的な様相を、かつての冷戦になぞらえて表現するためにしばしば使用される用語である。冷戦時代の米ソ対立が終結してからも、米中や米露間で新たな緊張関係が生まれつつある。

歴史的背景

1970年代のデタントとその終焉

1970年代、米ソ間でデタント(緊張緩和)が進み、1975年のヘルシンキ宣言がその象徴となった。しかし、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻を契機に、米ソ間の緊張が再び高まった。この時期を新冷戦と呼ぶことがある。同年、アメリカ議会は戦略兵器制限交渉(第2次)SALT-IIの批准を否決し、米ソ関係は悪化した。

1980年代の対ソ強硬政策

1980年、アメリカに共和党のレーガン政権が登場し、対ソ強硬政策を展開した。レーガンはソ連を「悪の帝国」と非難し、1983年には戦略防衛構想(SDI)を発表した。これに対し、ソ連はヨーロッパにSS-20ミサイルを配備し、アメリカはパーシングIIミサイルを配備した。ヨーロッパでの核戦争の脅威が高まった。

ゴルバチョフの登場と冷戦の終結

ソ連では1982年にブレジネフ体制が終わり、アンドロポフ、チェルネンコが相次いで死去した。1985年に登場したゴルバチョフ政権は新思考外交を掲げ、アメリカとの軍縮交渉を推進した。1987年、レーガンとゴルバチョフは中距離核戦力(INF)全廃条約に署名し、SS-20やパーシングIIミサイルは廃絶された。1989年には東欧革命が進展し、ベルリンの壁が撤去されたことにより、ゴルバチョフとアメリカのブッシュ大統領がマルタで冷戦の終結を宣言した。

21世紀の新冷戦

米中関係の緊張

2021年3月、アメリカ大統領ジョー・バイデンは米中関係を「21世紀における民主政治と独裁政治の間の戦争」と表現し、翌日ホワイトハウスが公式に発表した。2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻により西側諸国と中露の対立が本格化した。

ロシアと西側諸国の対立

2023年3月、中国国家主席の習近平とロシアのプーチン大統領が会談し、「中露両国の関係は歴史上最高のレベルに達した」と発表した。2023年4月、フィンランドは中立政策を放棄し、NATOの31番目の加盟国となった。これにより、NATOとロシアの対立が一層深まった。

中露の接近

ロシアは中国との連携を強化し、国連安保理での非難決議に対して度々拒否権を行使した。中露両国はイランとオマーン湾で合同演習を行い、ベネズエラに物資を支援するなど、アメリカに対抗する動きを見せた。

対中包囲網の形成

中国の攻撃的な外交姿勢に対し、台湾、日本、韓国、アメリカ、フィリピン、インド、ベトナム、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、オーストラリアなどが結束し、G7、クアッド、ANZUS、AUKUS、ファイブ・アイズ、D10などの組織を通じて対中包囲網を形成した。

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