御留山|江戸幕府や藩が資源保護のため入山を禁じた山

御留山

御留山(おとめやま)は、現在の東京都新宿区下落合に位置する歴史的な地名であり、かつて江戸時代に徳川将軍家の鷹狩場として一般の立ち入りが厳重に禁止(御留)されていた場所を指す。武蔵野台地の東端に位置するこの地は、豊かな湧水と起伏に富んだ地形を有しており、古くから風光明媚な景勝地として知られてきた。近代以降は華族の邸宅地として利用されたが、現在は「おとめ山公園」として整備され、都会の貴重な自然と歴史を伝える緑地として市民に親しまれている。周辺の落合地域はかつて「落合蛍」と呼ばれる蛍の名所でもあり、御留山の湧水はその生態系を支える重要な役割を担ってきた経緯がある。

江戸時代における役割と名称の由来

御留山の名称は、徳川将軍家がこの地を「御鷹場(おたかば)」として指定し、一般人の立ち入りを「御留(おとめ)」としたことに由来する。江戸幕府は、将軍の鷹狩を通じて武芸の練成や民情視察を行うとともに、特定の土地を管理下に置くことで権威を象徴した。御留山一帯は、樹木が鬱蒼と茂り、起伏の激しい地形が狩猟に適していたため、将軍家専用の狩場として厳格に管理された。当時は幕府の役人である「野守(のもり)」が配置され、密猟や無断の立ち入りを厳しく監視していたとされる。このように隔離された環境であったことが、結果として近代まで手付かずの自然が残る要因となった。

近代の変遷:近衛家と相馬家による邸宅地化

明治時代に入ると、御留山は幕府の管理を離れ、皇室に近い公家出身の近衛家や、旧中村藩主の相馬家の所有地となった。特に大正時代にかけて、この地には広大な敷地を活かした和洋折衷の邸宅や、地形を巧みに利用した回遊式庭園が築かれた。近衛家の邸宅跡地は現在もその名残を留めており、かつての華族文化の一端を垣間見ることができる。昭和初期に周辺の宅地開発が進む中でも、御留山の鬱蒼とした森と湧水は、所有者たちの手によって守られ続けた。しかし、戦後の社会状況の変化に伴い、一時は宅地化の危機に晒されたこともあるが、地元住民による保存運動が高まった結果、公園として永久保存される道が拓かれたのである。

自然環境と湧水の特色

御留山の最大の特徴は、武蔵野台地の崖線(ハケ)から湧き出る豊富な地下水である。この湧水は、新宿区内でも極めて珍しい自然湧水として知られ、「東京の名湧水57選」にも選出されている。湧水は一年を通じて水温が安定しており、かつてはこの水を利用して蛍の飼育が行われていた。現在も公園内の弁天池付近では清冽な水を確認することができ、周辺の植生を潤している。以下の表は、御留山周辺の主な自然要素をまとめたものである。

要素 内容 備考
地質 関東ローム層・武蔵野礫層 台地端の傾斜地
湧水 おとめ山湧水 東京の名湧水57選
植生 クヌギ、コナラ、ケヤキ 武蔵野の雑木林
生物 ヘイケボタル 地域住民による保護

おとめ山公園としての保全と活用

現在、御留山の大部分は「新宿区立おとめ山公園」として一般公開されている。1969年の開園以来、段階的に拡張整備が行われ、現在では約2.7ヘクタールの広さを誇る。園内は、かつての地形を活かした「林間広場」や、湧水を源泉とする池、そして蛍を鑑賞できる施設などが配置されている。御留山の保全活動は自治体だけでなく、地域住民によるボランティア団体も積極的に参加しており、下草刈りや清掃、蛍の幼虫の放流などが継続的に行われている。都市化が著しい新宿区において、御留山は「都会のオアシス」としての役割を果たすだけでなく、郷土の歴史と自然を学ぶ教育の場としても重要な価値を有している。

主な施設と見どころ

  • 水辺の広場: 湧水が集まる池があり、水生植物や野鳥の観察に適している。
  • ふれあい広場: 広大な芝生が広がり、地域の憩いの場となっている。
  • ホタル観賞舎: 毎年夏に開催される「ホタル観賞の夕べ」の拠点となる施設。
  • 見晴らし台: 崖線の高低差を利用した展望スペースで、周辺の街並みを一望できる。

地理的・文化的価値の総括

御留山が持つ意味は、単なる公園としての機能に留まらない。それは江戸から明治、大正、そして現代へと至る東京の都市形成史を凝縮した場所である。将軍家の権威による立ち入り禁止措置が、図らずも豊かな生態系を21世紀にまで残すことになったという歴史の皮肉は興味深い。御留山という名は、かつては「拒絶」を意味する言葉であったが、今日では貴重な緑を「守り抜く」という意志を象徴する言葉へと昇華されている。この地を訪れる人々は、鬱蒼とした木々の間を歩くことで、かつての武蔵野の面影と、脈々と受け継がれてきた土地の記憶に触れることができるのである。御留山の存在は、開発と保存のバランスを考える上での重要な先行事例として、今後も高く評価され続けるであろう。