屯田制|耕作で兵站を支える国家運用制度

屯田制

屯田制とは、戦時や財政窮乏に直面した国家が、兵士・流民・罪人・辺境住民などを編成して耕作に従事させ、軍糧・公糧を自給させる土地経営の制度である。中国では前漢末から後漢・三国期にかけて本格化し、とくに曹操が実施した魏の政策で著名である。遊軍の糧秣依存を減らし、国庫負担を抑えながら兵站を安定化する点に特色があり、辺境の拠点化・荒廃地の復旧・移民吸収といった国家的課題の解決と結びついて展開した。制度名称は「屯田」「軍田」「官田」などと表記され、史料上の運用は時代と地域で変化するが、兵農一致・食糧自給・軍事拠点化の三点が共通の核心である。

定義と目的

屯田制の定義は、国家の統制下で集団的耕作を行わせ、その収穫を公的用途(軍糧・官倉・地方財政)に充当する制度である。目的は兵站の確保と軍費節減、荒地の再生、辺境の治安維持、そして租税基盤の再建にある。市場からの買い上げ(市糴)に頼るよりも価格変動の影響を受けにくく、戦乱期にも軍の即応性を高める利点を持つ。

起源と展開

前漢・後漢の実施

萌芽は前漢末の飢饉・動乱対策に遡り、後漢では辺境や荒廃地の復旧を狙って官主導の耕作集団が設置された。とくに黄巾以後の社会不安で遊民が増大すると、彼らを編成して耕地に付けることが治安と財政の両面で有効視された。前提としての国家的土木・水利の整備も重要で、河渠の修復や堤防の維持とセットで運用された。

曹操の屯田

曹操は後漢末の飢饉と戦乱で疲弊した中原を立て直すため、民屯・軍屯を区別しつつ屯田制を徹底した。民屯は流民や自作農を徴して官田を耕させ、軍屯は兵士自身に耕作させて軍糧を自給させる方式である。収穫配分は官:農(または兵)を一定比率で分け、余剰は官倉・軍倉に蓄積された。これによりは兵站を安定させ、機動的な軍事行動を可能にした。

北魏と均田への連関

北魏は北方遊牧勢力の定住化と華北統治のため、戸籍・土地管理を強化しつつ屯田制を継承・変容させた。やがて土地・口分の原理を制度化した均田制と相互補完関係を持ち、荒地の再生と租税・兵役の安定的動員を図った点に特徴がある。

唐・宋・明の変容

唐代の辺境経営

は辺境の節度使体制と連動させ、軍鎮周辺に屯田制的な耕作を配置した。辺塞補給の平時化により遠征軍の負担を軽減し、遊軍の駐屯費を抑える狙いがあった。均田の弛緩と併走しつつも、軍需の自給化という伝統的機能は維持された。

明の衛所と屯田

では衛所軍戸に対し軍役とともに耕作義務を課し、軍需を充たす実質的な屯田制が広く運用された。軍戸は世襲的に軍役・耕作に従事し、軍政・田政の二重管理が地方支配の骨格をなした。兵制の形骸化とともに運用は弛緩するが、軍糧の確保という本質は明末まで重要であり続けた。

日本の屯田兵との関係

日本近代の「屯田兵制度」は、北海道開拓と国境防衛を兼ねた兵農一体の植民政策で、名称と理念に屯田制の影響が見られる。ただし中国古代の官田・軍田運用と異なり、近代国家の移住・開拓政策として制度設計され、土地所有・家族定住・地域社会形成の比重が大きい点で歴史的性格を異にする。

制度の仕組み

  • 編成主体:官(中央・地方)が設置し、監督官(屯田官・田官)が統括する。
  • 被編成層:兵士・流民・罪人・移民など社会的周縁層を中心に再編する。
  • 土地供給:官有地・没収地・荒廃地の再耕を基本とし、水利・治山治水と連動する。
  • 収穫配分:官と耕作者で定率分配し、官分は軍倉・常平倉等に蓄蔵する。
  • 身分・移動:耕作者の移転は統制され、軍籍・戸籍管理と密接に結びつく。
  • 軍事機能:収穫期以外は軍事訓練・警備に従事し、前線の兵站基地として機能する。

経済・社会への影響

  • 財政面:歳入の安定化と軍費の節減に寄与し、市場調達の価格リスクを緩和する。
  • 地域開発:荒地復旧・新田開発を進め、辺境の定住化と治安維持を促す。
  • 社会統治:流民吸収と戸籍復元を通じて徴税・兵役の基盤を回復する。
  • 副作用:自由移動の制限、官吏の腐敗・収奪、農事と軍事の両立負担などの問題が生じる。

用語と史料のポイント

屯田制関連の用語には、民屯(民による官田耕作)、軍屯(軍による耕作)、官田(官有地)、軍糧(軍需米穀)、屯田官(監督官)などがある。制度はしばしば土地・戸籍制度や兵制と不可分で、たとえば北魏など各時代の法令や経済志(「食貨志」等)に運用規定が見える。解釈にあたっては、地域差・時期差・対象集団の違いを踏まえ、固定的なモデルでなく歴史的プロセスとして把握することが要諦である。