宋学|理気と性即理で再編された新儒学

宋学

宋学は、中国の宋代において儒家の教理を再編成し、宇宙論と倫理を統合した思想潮流である。理(li)と気(qi)の二元を基軸に、人間の性(xing)と社会秩序の根拠を「理」に求め、修己治人の学として体系化した。唐末から五代の動乱を経て再統一したの文治主義、科挙の拡充、印刷術と書籍市場の発展は、士大夫層の自覚と学術の細分化を促し、儒学の刷新要求が高まった。こうした学術的・社会的背景のなかで、周敦頤・程顥・程頤・張載の諸系譜が収斂し、朱子によって大成された体系が一般に宋学(のちの朱子学)と呼ばれる。

成立の背景

五代十国の分裂をへて成立した宋朝は、武断から文治への転換を志向した。科挙は選士の正統経路となり、士大夫は道徳的教養と統治技術を兼ね備えるべき存在とされた。仏教・道教の形而上学が広く流布する一方、儒家は古典の注釈を超え、人間と世界の根拠を問う体系的学説を必要とした。周敦頤の太極論、程氏兄弟の性理学、張載の気一元論が互いに刺激しあい、宋学の土台を構築した。

基本概念と枠組み

宋学の核心は「理」と「気」の交渉である。理は普遍的規範・秩序で、気は生成変化の素材である。人間本性は善であるとし(性善)、倫理は理の発現として理解される。「性即理」を掲げ、世界の条理と人倫の規範を貫一的に説明した。学びは「居敬窮理」に要約され、心を正し、事物の理を究める実践(格物致知)を通じて徳性を涵養する。これにより、経書の句読から宇宙論までが一体に再編された。

朱子による大成

朱子(朱熹)は先行諸説を総合し、太極—理—気—形の体系で形而上と形而下を連結した。教育的には『四書集注』を編し、『大学』『中庸』『論語』『孟子』の講読次第を整え、科挙の標準カリキュラムを形成した。方法論としては「敬」による主体の統御と、「格物」による対象理解を併走させ、私欲を去って天理を明らかにする道徳修養の型を提示した。これが書院教育を通じて広域に普及した。

書院と学術ネットワーク

書院は国家官学と民間学術の媒介点として機能した。白鹿洞書院などでは講義・質疑・講読会が常設され、学規は生活規範と学問方法を統合した。刊本と往復書簡は学統を越えて共有され、師友のネットワークが注釈・校勘・教学の標準を更新した。こうして宋学は制度・共同体・テクストの三位一体で拡大し、士大夫的公共性の基盤となった。

経典理解の再編

宋学は従来の章句訓詁に止まらず、経典の「義理」を中心に再読した。とりわけ『四書』が入門から上級へ連なる階梯として整備され、『五経』は礼制や史学との連関で位置づけ直された。注釈は実践倫理と結合し、家族・学校・官僚倫理の規範を提供した。この再編は教育の均質化と同時に、解釈権をめぐる活発な論争を生み、学派的多様性を孕んだ。

政治・社会との関係

宋学は統治理念の基礎を与え、官僚の自己規律を支える規範資源となった。人事・財政・訴訟の判断は、名分と天理の観点から検討され、士大夫の公的責務が道徳化された。他方、制度改革や現実政治との摩擦もあり、経世の実務と形而上学の距離をどう埋めるかが常に問われた。宋学は批判を受けつつも、公共的討議の言語を供給し続けたのである。

日本への伝播と受容

中世に渡来した宋学は、近世初頭に本格化する。藤原惺窩・林羅山らが朱子学を幕府学制に位置づけ、礼制・学校・家訓に浸透させた。書院式の講学は藩校・寺子屋にも及び、武士道の倫理言語を提供した。他方、神道・仏教との相互作用や、古学・国学の批判を受け、多様な読法が併存した。日本における宋学受容は、実学・教化・統治の接点で柔軟に変容したのである。

学問方法と実践

  • 居敬:心を引き締め、欲を抑え、感情と判断を整序する。
  • 窮理:事物の道理を究め、概念と経験の往復で理解を深める。
  • 講学:講義・質疑・輪講を通じ、テクストと実践を接続する。
  • 日用倫理:家政・交友・官務の細部にまで規範を行き渡らせる。

批判と展開:心学への接続

宋学の理中心主義に対し、明代には陸九淵—王陽明の系譜が「心即理」を強調した。良知を軸に知と行の同一性を説く心学は、実践志向を強め、官学化した朱子学の形式主義を批判した。東アジアでは、朱子学と心学の往還が地域社会の倫理規範と教育制度を更新し続け、近世の思想地図を形作った。

用語の射程と史料上の注意

史料上、「宋学」は広義に宋代学術全般や注疏学の動向を指す場合と、狭義に朱子学体系を指す場合がある。前者は宋代知識社会の総体(史学・経学・理気論)を含意し、後者は性理学の完成系に焦点を当てる。文脈に応じて用語を識別し、一次典籍と注釈を対照しつつ読むことが重要である。総じて宋学は、道徳的主体の形成と公共秩序の設計原理を一体化した東アジア知の枢軸であった。

参考項目:中国思想儒学朱子論語五経王陽明林羅山