大山郁夫|民本主義を掲げた政治学者・労働運動指導者

大山郁夫

大山郁夫(おおやま いくお、1880年〈明治13年〉9月20日 – 1955年〈昭和30年〉11月30日)は、近代日本の政治学者であり、政治家、ジャーナリストとしても多大な足跡を残した人物である。大正デモクラシーの旗手として知られ、戦前は労働農民党委員長として無産政党運動の陣頭指揮を執り、戦後は平和運動の象徴的な存在として活動した。その生涯は、知識人の政治参加と、国家権力による抑圧に対する抵抗の歴史そのものであったと言える。

学問的背景と早稲田大学での活動

大山郁夫は兵庫県に生まれ、早稲田大学(当時は東京専門学校)で政治学を修めた。卒業後は同大学の教授となり、シカゴ大学やミュンヘン大学への留学を経て、当時最先端であった欧米の政治思想を日本に紹介した。初期の彼は、国家の本質を社会的な諸力の均衡と捉える「政治の社会的基礎」を説き、法的な国家論を超えた動的な政治学を構築しようと試みた。これは後に政治学における階級争闘説へと発展し、多くの若き知識人に影響を与えることとなった。

言論界への転身と「我等」の創刊

1917年、早稲田大学の学内紛争を機に教授職を辞した大山郁夫は、大阪朝日新聞社に入社する。しかし、1918年のシベリア出兵を批判した「白虹事件」により、政府の圧力を受けた新聞社を去ることとなった。その後、長谷川如是閑や河上肇らと共に雑誌『我等』を創刊し、民主主義の徹底と民本主義の普及に尽力した。この時期の活動は、大山郁夫を単なる学者から、社会を変革しようとする実践的な知識人へと変貌させた重要な転換点であった。

無産政党運動と労働農民党

1920年代に入ると、大山郁夫は理論面だけでなく、実際の政治運動にも深く関与するようになる。1926年には、合法的な無産政党として組織された労働農民党の委員長に就任した。彼は、労働者や農民の権利擁護を掲げ、治安維持法下の厳しい監視と弾圧の中で戦った。1930年の衆議院議員選挙では当選を果たしたが、当時の軍国主義化が進む日本の状況下で、彼のような社会主義的な傾向を持つ政治活動は絶え間ない危機に晒されていた。

米国亡命とノースウェスタン大学での生活

1932年、満州事変以降のファシズム化とテロリズムの横行に身の危険を感じた大山郁夫は、夫人の大山亜由子を伴い、アメリカ合衆国への亡命を余儀なくされた。亡命先ではノースウェスタン大学の客員教授および調査員として迎えられ、研究生活を送りながら日本の軍国主義を批判し続けた。この期間中、彼は同じく亡命生活を送っていた他国の哲学者、例えばドイツを追われたニーチェ研究者や自由主義者たちの苦悩に共鳴し、普遍的な人間主義への思索を深めたとされる。

主要な著作 刊行年 内容の概要
『政治の社会的基礎』 1923年 階級争闘説に基づき、政治の動態を分析した主著。
『社会生活の政治的組織』 1924年 民主制の機能と組織に関する理論的考察。
『民族と階級』 1923年 民族問題と社会階級の相克を論じた。

戦後の帰国と平和運動

第二次世界大戦終結後の1947年、大山郁夫は熱烈な歓迎を受けて日本に帰国した。早稲田大学教授に復職すると同時に、参議院議員としても活動を再開した。戦後の彼は、冷戦構造下における「全面講和」と「恒久平和」を強く訴え、世界平和評議会の理事を務めるなど、国際的な平和運動の指導者として世界的に評価された。1951年には、その功績によりソ連からスターリン国際平和賞を授与されている。

思想の現代的意義

大山郁夫が提唱した「政治は権力現象である前に社会現象である」という視点は、現代の政治社会学においても重要な示唆を与えている。彼は、実存主義的な自己決定を重んじたサルトルのように、知識人が現実社会の課題に対して主体的に関わる「アンガージュマン」を体現した人物であった。彼の思想の根底には常に、抑圧された人々の解放と、理性に根ざした吉野作造らの民本主義のさらなる発展という理想が流れていた。

主な略年譜

  • 1880年:兵庫県赤穂郡(現・相生市)に生まれる。
  • 1915年:早稲田大学政治経済科教授に就任。
  • 1918年:白虹事件を機に朝日新聞社を退社。
  • 1926年:労働農民党委員長に選出。
  • 1932年:アメリカ合衆国へ亡命。
  • 1947年:日本に帰国、早稲田大学に復帰。
  • 1951年:スターリン国際平和賞を受賞。
  • 1955年:東京にて逝去。

評価と遺産

大山郁夫に対する評価は、その時代ごとに変遷を見せてきた。戦前は「危険思想の持ち主」として弾圧の対象となり、戦後は平和の使者として崇められた。しかし、一貫していたのは、学問的良心を曲げずに権力と対峙する姿勢である。彼の存在は、後の日本の革新勢力や市民運動に大きな道標を与え、自由な言論がいかに脆く、かつ貴いものであるかを後世に伝えている。