北アメリカ植民地の形成|英植民と自治の始動

北アメリカ植民地の形成

北アメリカ植民地の形成は、15〜18世紀にかけてのヨーロッパ諸国の海外進出の一環として進み、のちに合衆国誕生へとつながる重要な過程である。大西洋を挟んでヨーロッパとアメリカ大陸が結びつくことで、先住民社会、アフリカからの奴隷、ヨーロッパ移民が交錯する新たな世界が出現し、政治・社会・経済の面で独自の発展を遂げた。

大航海時代と北アメリカの認識

北アメリカへの関心は、大西洋航路の開拓と地理的知識の拡大によって高まった。コロンブスの航海後、アメリゴ=ヴェスプッチらの探検によって新大陸の存在が知られるようになり、マゼランの世界周航は地球規模での海上交通の可能性を示した。南米ではアマゾン川流域やブラジルでイベリア諸国の植民地支配が進展し、それに続いて北アメリカでも恒久的植民地の建設をめざす動きが本格化した。

イギリス植民地の成立と特徴

北アメリカ植民地の中心的担い手となったのはイギリスである。17世紀初頭にヴァージニア植民地が設立され、その後ニューイングランド・中部・南部植民地へと拡大した。これらの植民地では、タバコや綿花など換金作物のプランテーション経営、家族単位の小農経営、港湾商業都市の形成など、多様な経済構造が展開した。他方、土地拡大に伴う先住民との紛争や、アフリカ系奴隷の導入による人種間格差が早くから植民地社会に刻み込まれた。

宗教的要因と入植社会

北アメリカへの移住には、宗教的動機も大きく関わった。ピューリタンなど宗教的少数派は本国の宗教政策から逃れ、「神の国」を築くことを理想としてニューイングランドに移住した。彼らは教会共同体と町会議を基盤とする自治を重視し、教育や読み書き能力を普及させた。このような自治と道徳規律の伝統は、のちに政治参加意識や自由の理念の基盤となり、やがてアメリカ独立革命へとつながる思想的土壌を育んだ。

先住民社会との関係

ヨーロッパ人入植は、北アメリカ先住民社会のバランスを大きく崩した。交易を通じて鉄製品や銃火器が流入し、部族間の勢力関係は変動した一方、ヨーロッパからもたらされた疫病は先住民人口を激減させた。土地をめぐる争いは戦争へと発展し、先住民の移住・退去が繰り返された。植民地政府は条約や購入契約の形式を取りつつも、実際には一方的に土地を取り上げることが多く、支配と排除の構造が形成された。

黒人奴隷制と植民地経済

北アメリカ植民地の南部では、プランテーションでの労働力としてアフリカ系奴隷が大量に導入された。大西洋をまたぐ奴隷貿易は、ヨーロッパの商品輸出、アフリカでの奴隷購入、アメリカでの農産物生産を結びつける環大西洋経済の一部を構成した。強制労働に基づく生産は、本国やヨーロッパ都市の商人資本を潤し、のちの産業化や都市化の基盤を形づくるが、その背後には深刻な人権侵害と構造的な人種差別が存在した点が重要である。

植民地自治と帝国との緊張

各植民地では、住民代表からなる議会や地方自治体が早くから成立し、課税や法制定に一定の発言権を持った。イギリス本国も当初は距離の遠さやコストを考慮し、植民地に相当の自治を認める「緩やかな管理」を行った。しかし18世紀に入り、戦費負担や帝国防衛をめぐって本国が課税強化・統制強化を図ると、「代表なくして課税なし」という政治原理を掲げる植民者との対立が激化した。この対立が決定的になったとき、植民地社会は本国からの分離を選択し、独立運動へと向かうことになる。

大西洋世界とその後の展開

北アメリカ植民地は、大西洋をめぐる広域な経済・社会システムの一部として成立した。イギリス本国では港湾都市や工業都市、たとえば後に成長するバーミンガムが発展し、賃労働の拡大や労働問題が顕在化する。それに対応して19世紀には工場法などの社会立法が整備されるが、その前提には植民地から供給される原料と市場があった。このように北アメリカ植民地の形成は、ヨーロッパと新大陸、アフリカを結ぶ大西洋世界の中で理解すべき歴史的過程であり、その帰結として近代国家と資本主義世界経済が形づくられていったのである。