利権回収運動|不正規制と改革の動き

利権回収運動

利権回収運動とは、主として帝国主義時代の列強によって外国資本や外国政府に与えられた鉄道・鉱山・租界・関税などの「利権」を、後発の主権国家や民族国家が再び自国の統制下に取り戻そうとした政治・経済運動である。とくに中国では、清末から中華民国期にかけて、列強に譲渡された各種の特権や企業利権を買い戻し、関税自主権や司法権を回復しようとする過程が利権回収運動として理解される。

帝国主義と「利権」の形成

19世紀後半以降、欧米列強と日本は、アジア諸国に対して不平等条約を押しつけ、治外法権や関税自主権の剥奪、鉄道・鉱山の開発権、租借地・租界の設定など、多様な「利権」を獲得した。中国ではアヘン戦争後の一連の条約に加え、義和団鎮圧後の北京議定書によってさらに軍隊駐留や多額の賠償金が課せられ、列強の政治・経済的支配が一層強まった。こうした状況は、中国国内の反帝国主義世論や民族運動を刺激し、のちの利権回収運動の基盤となった。これと関連して義和団事件や日露戦争後の講和であるポーツマス条約などは、列強による勢力圏確定と利権拡大の転機と位置づけられる。

清末新政と近代化改革

清朝は列強の圧力に対抗するため、日清戦争後からいわゆる清末新政にかけて一連の近代化改革を進めた。軍事面では洋式軍隊の整備として新軍新建陸軍が編成され、教育面では科挙制度を終わらせて近代的学校制度に転換するため科挙の廃止が断行された。これらの改革は直接には利権の回収ではないが、国家の財政・軍事・行政能力を高め、将来的に列強との条約改正や利権交渉を有利に進める条件を整える試みであったと理解できる。

中華民国期の利権回収運動

辛亥革命で清朝が倒れ中華民国が成立すると、列強の利権を整理し自国主権の回復をめざす動きが本格化した。北洋政府期には内戦や軍閥割拠のため実効は限られたが、鉄道や鉱山の買収計画、外国銀行からの借款整理などが試みられた。その後、国民党の南京国民政府は関税自主権の回復と治外法権の撤廃を重要課題として掲げ、ワシントン会議以降の国際環境の変化を利用しながら、列強との条約改正交渉を進めた。この過程は、植民地支配のもとで保護国化を強められていった朝鮮での第3次日韓協約などと対比され、帝国主義支配に対抗する自立化の試みとして位置づけられる。

利権回収の具体的な内容

  • 関税自主権の回復:不平等条約によって列強に拘束されていた税率を、自国の判断で決定できるようにすることを目指した。これは財政基盤の強化だけでなく、経済政策の主導権を取り戻す意味を持った。
  • 鉄道・鉱山利権の買収:外国資本が建設・経営していた鉄道や鉱山を国有化、あるいは民族資本へ移管することで、交通・資源の支配権を取り戻そうとした。鉄道の帰属をめぐる問題は各地で民族運動と結びつき、のちの独立や革命の火種ともなった。
  • 租界・租借地の返還要求:治外法権や都市空間の一部を実質的に外国によって支配されていた状況から脱するため、租界や租借地の返還を求める交渉が行われた。
  • 外国借款の整理:多額の外債によって財政主権が拘束されていたため、借款条件の見直しや早期償還を通じて財政の自立をはかる試みも利権回収運動の一環となった。

世界各地における利権回収の広がり

利権回収運動は中国に固有の現象ではなく、帝国主義支配を受けた多くの地域に共通してみられる。ラテンアメリカでは、外国資本による石油・鉱山利権の支配に対して、革命や憲法改正を通じた主権回復の試みが展開され、その背景にはメキシコ内乱のような政治的動揺があった。東南アジアでも、植民地支配下で形成された経済的利権への反発が、民族運動の高揚と結びついた。たとえばインドネシアでは、地主制やプランテーション支配への反発からサミンの民の抵抗が起こり、やがてインドネシアの民族運動東南アジアでの民族運動の形成と挫折で扱われるような組織的な民族運動へと発展していった。

ナショナリズムと利権回収

利権回収運動は、多くの場合ナショナリズムの高揚と結びついていた。外国資本の支配や不平等条約への不満は、民族の独立や国家の主権回復を求める世論を生み出し、知識人や青年層、都市の市民層を中心に広がった。インドネシアのイスラーム同盟のように宗教団体や商人層が結成した政治組織も、経済的利権の再配分や民族経済の育成を主張し、植民地支配に対する抵抗と利権回収の要求を結びつけた。こうした動きは単なる経済交渉にとどまらず、近代国家の形成過程において主権と平等な国際関係を求める政治運動として大きな歴史的意義をもつのである。