分子動力学シミュレーション
分子動力学シミュレーションは、分子や原子といったミクロな粒子の運動をコンピュータ上で数値的に追跡する手法である。ニュートン力学の枠組みで各粒子の位置と速度を刻々と更新し、その結果からマクロな物性や反応機構を推定する。系を構成する粒子間の相互作用ポテンシャルを設定し、時間発展をシミュレートすることで、実験では観測が難しいナノスケールの詳細な振る舞いを解析できることが大きな利点だ。計算化学や材料科学、バイオインフォマティクスなど多様な分野で利用されており、新物質の探索や複雑な反応プロセスの解明にも役立っている。
基本原理
分子動力学シミュレーションは、まず各粒子に働く力をポテンシャル関数から導出することから始まる。クーロン力やファンデルワールス力、ボンドの伸縮や曲げに関わる項などを考慮し、得られた力に基づいて運動方程式を数値的に解く。具体的には、粒子の位置と速度を離散化した時間ステップごとに更新し続けることで、系全体の時間発展を追跡できるようにする。この過程は反復演算であり、精度を確保するために適切な時間刻み幅が必要となる。
水島さんによる"分子動力学シミュレーション"です。
ATG9小胞は、熱力学的振動により自由に運動しています。画面中央のOPTN液滴に接触すると、Wettingの効果により、ATG9小胞は液滴に捕獲されて係留されました(Mizushima et al. unpublished) https://t.co/k85pTUPyCw pic.twitter.com/L2M7YzJIvO— Mizushima Lab (UTokyo) (@MizLabUT) October 23, 2024
ポテンシャル関数の選定
分子動力学シミュレーションにおいて、どのようなポテンシャル関数を選ぶかは極めて重要だ。単純化したレナード-ジョーンズ(Lennard-Jones)ポテンシャルから始まり、分子内部の結合や周期表全般の元素間相互作用を定量的に再現する力場(Force Field)が多数提案されている。有機分子やバイオ分子にはAMBERやCHARMM、Inorganic材料にはReaxFFなど、系の性質や研究目的に応じて最適なパラメータセットを利用する必要がある。
シミュレーション規模と計算コスト
分子動力学シミュレーションは多くの粒子を扱うほど現実に近い系を再現できるが、その分計算コストが飛躍的に増大する。数万~数百万原子を扱う大規模計算では、高性能スーパーコンピュータやGPUアクセラレーションが欠かせない。逆に、数百~数千原子程度の系であれば比較的手軽に実行でき、汎用計算機やクラウドコンピューティングを利用するケースも増えている。最新の並列化アルゴリズムや負荷分散技術の進歩は、大規模シミュレーションを可能にする原動力となっている。
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温度や圧力の制御
実際の系を模擬するためには、外部条件である温度や圧力をシミュレーション内で適切に制御しなければならない。そこで用いられるのが、サーモスタットやバロスタットと呼ばれるアルゴリズムだ。サーモスタットは粒子のエネルギーを調整して目標温度に保ち、バロスタットはボックスの体積を変化させて目標圧力を維持する。NVT(粒子数・体積・温度一定)やNPT(粒子数・圧力・温度一定)など、系に応じてアンサンブルを選択し、実在系に近い状態を再現する。
解析手法と指標
分子動力学シミュレーションで得られた膨大なトラジェクトリー(粒子の軌跡)をどのように解析するかも重要な課題だ。拡散係数や平均二乗変位、ペア分布関数、自己相関関数など、統計物理学で確立された指標を活用する。さらに結晶構造や相転移現象を探るためには、ラジアル分布関数やX線回折パターンのシミュレーション、クラスター解析といったアプローチが用いられる。バイオ分子を扱う場合には、タンパク質のフォールディング経路や相互作用部位を重点的にモニタリングする手法も存在する。
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— 山本 典史 | Nori Yamamoto (@yamnor) November 6, 2024
適用分野の広がり
分子動力学シミュレーションは化学や材料科学にとどまらず、生命科学や医薬品設計などにも大きなインパクトを与えている。タンパク質の立体構造変化を予測して創薬に応用する事例や、電池材料のイオン拡散特性を解析して高性能化を目指す研究などが代表的だ。また界面現象やナノ流体力学、ソフトマターの物性など、多くの領域で実験との相補的な解析手法として高い評価を受けている。