円覚寺舎利殿|鎌倉に現存する国宝の禅宗様建造物

円覚寺舎利殿

円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある瑞鹿山円覚興聖禅寺(円覚寺)の塔頭、正続院に位置する禅宗様建築の遺構である。鎌倉時代に中国から伝来した様式を今に伝える貴重な建造物であり、現在は国宝に指定されている。この堂宇は、源実朝が宋の能仁寺から請来したという「仏牙舎利(釈迦の歯)」を安置するための施設であり、日本の中世建築を代表する傑作として知られている。現存する建物は、火災による焼失後、近隣の太平寺から移築されたものとされているが、その精緻な構造は建築史学上極めて高い価値を有している。

建築様式と意匠の特徴

円覚寺舎利殿は、典型的な禅宗様(唐様)の建築様式を採用している。その最大の特徴は、屋根の深い軒出と急な勾配、そして「反り」の美しさにある。屋根は入母屋造で、屋根材には薄い板を重ねた「葺板(柿葺)」が用いられている。外観は二重屋根のように見えるが、下層の屋根は「裳階(もこし)」と呼ばれる装飾的な差し掛け屋根であり、構造上は一層(平屋)である。内部は畳を敷かない土間となっており、中央の須弥壇に舎利塔が安置されている。細部には、柱の上下を細く削った「粽(ちまき)」、柱の上に複雑に組み合わされた「詰組(つめぐみ)」、波打つような曲線を持つ「花頭窓(かとうまど)」など、当時の大陸建築の影響を強く受けた意匠が随所に見られる。

歴史的背景と移築の経緯

円覚寺舎利殿の創建に関する詳細は、1563年(永禄6年)の火災によって当初の建物が焼失したことで複雑な経緯を辿っている。現在の建物は、室町時代中期に鎌倉の西御門にあった尼寺、太平寺の仏殿を移築したものと推定されている。太平寺は北条氏ゆかりの寺院であったが、戦国時代の動乱の中で廃寺となったため、その中心的な建物が円覚寺へと引き継がれたのである。この移築の事実により、円覚寺舎利殿は鎌倉時代末期から室町時代初期にかけての高度な建築技術を現代に伝える、日本最古の唐様建築遺構の一つとして位置付けられることとなった。寺院としての格付けである「鎌倉五山」の第二位に列せられた円覚寺において、この舎利殿は象徴的な役割を果たし続けている。

構造の詳細

項目 内容
形式 正側面三間、一層、入母屋造、柿葺(裳階付き)
時代区分 室町時代中期(推定)
指定区分 国宝(1951年指定)
主な本尊 仏牙舎利(釈迦の歯)

鎌倉時代における禅宗の影響

円覚寺舎利殿が建立された背景には、鎌倉幕府執権であった北条時宗による禅宗への深い帰依がある。時宗は、元寇(文永・弘安の役)という国家の危機に際し、戦没者の追悼と精神的な拠り所として円覚寺を創建した。当時の鎌倉時代は、武士の気風に合った合理的かつ厳格な禅の教えが急速に普及した時期であり、建築もまたその思想を反映して、従来の和様とは異なる機能的で装飾的な禅宗様が好まれた。円覚寺舎利殿に見られる質実剛健かつ洗練された美しさは、当時の武家文化と仏教思想の融合を象徴するものであり、日本人の美意識の形成に多大な影響を与えた。

文化財としての保存と公開

円覚寺舎利殿は、その極めて高い歴史的・芸術的価値から、厳重に管理されている。通常は正続院の門外からの参拝のみとなっており、一般公開されるのは正月三が日や11月初旬の「宝物風通し」などの特定の期間に限られている。これは、繊細な柿葺の屋根や木造構造を維持するための措置であり、適切な保存修理が定期的に行われている。また、周辺の自然環境とも調和しており、鎌倉の四季折々の風景の中でその威厳を保っている。円覚寺舎利殿を訪れることは、日本の日本建築史における到達点の一つを直接確認する貴重な機会となっている。

  • 所在:神奈川県鎌倉市山ノ内409
  • 宗派:臨済宗円覚寺派大本山
  • 主な建築特徴:扇垂木、弓欄間、詰組
  • 周辺施設:妙香池、洪鐘(国宝)、仏殿