位禄
位禄(いろく)とは、日本の律令制下において、特定の位階を有する者に対して支給された俸給の一種である。主に四位と五位の官位を持つ者(通貴)を対象としており、正月から二月にかけて支給される春禄と、八月から九月にかけて支給される秋禄の年二回、定例的に交付された。位禄は、律令官人の生活基盤を支える重要な経済的給付であり、位階の高さに応じてその支給量に差が設けられていた。これに対し、三位以上の公卿には「位封」と呼ばれる封戸が与えられ、六位以下の下級官人には主に「季禄」が支給されるという階層的な給与体系が構築されていた。当初は国家財政の根幹をなす税収を財源としていたが、時代の変遷とともにその制度内容は変化し、平安時代中期以降の律令体制の弛緩に伴い実質的な機能を失っていった。位禄は、当時の官位社会における地位を象徴する経済的特権としての側面も併せ持っていたのである。
位禄制度の成立と歴史的背景
位禄の制度は、7世紀後半から8世紀初頭にかけての律令国家形成期に整備された。文武天皇の時代に制定された大宝律令においてその規定が明文化され、続く元正天皇の養老律令によって細目(禄令)が確定した。位禄が導入された背景には、豪族を中心とした従来の私的な部民制や食封制を廃し、天皇を中心とした公地公民制の下で官僚組織を維持するため、国家が直接官人に給与を支払うシステムを確立する必要があったことが挙げられる。位禄は、天皇への忠誠と公務への対価を物質的に保障する手段であり、官位相当制と密接に連動していた。奈良時代を通じて安定的に運用されていたが、度重なる財政難や官人の増大により、次第に支給される品目や量の調整が行われるようになった。また、位禄の支給実務は太政官の管理下で行われ、実際の物資の配分には民部省や式部省、兵部省などが関与した。
支給対象と位階の区分
位禄の最大の大きな特徴は、その対象が四位および五位の官人に限定されていた点にある。律令制における官位体系では、一位から三位までを「貴(き)」、四位と五位を「通貴(つうき)」、六位以下を「官(かん)」と区別していた。このうち、最高層の貴族には広大な土地と人民を支配する権利である位封や位田が与えられたが、四位・五位の通貴層には土地ではなく、現物支給としての位禄が主要な収入源として設定された。位禄の支給額は、正四位上から従五位下までの各階級ごとに厳密に規定されており、昇進に伴って受給額が増加する仕組みとなっていた。これにより、官人はより高い位階を目指して職務に励む動機付けを得ていたのである。また、位禄を支給されることは、単なる経済的利益だけでなく、社会的な名誉や格式を証明する証でもあった。この特権的な給与体系により、律令国家は中堅貴族層を確固たる官僚勢力として掌握することに成功したのである。
給与の内容と具体的な品目
位禄として支給された品目は、当時の経済において貨幣に準ずる価値を持っていた現物物資が中心であった。具体的には、絹、糸、布(麻布)、鍬(くわ)の4種類が基本セットとなっており、これらは衣食住の「衣」と、生産手段である「農具」をカバーするものであった。これらの物資は、地方から中央へ納付される租庸調のうち、「調」や「庸」として徴収された各国の特産品から賄われた。特に絹や布は、市場での交換手段としても機能していたため、官人は受け取った位禄を生活必需品や贅沢品、あるいは私的な雇用の賃金へと替えることが可能であった。位禄の支給量は膨大であり、例えば正四位上の官人には年間で多量の絹や糸が配分されたが、これは当時の庶民の生活水準からすれば極めて高額なものであった。しかし、受給者の急増によって次第に全額を現物で用意することが困難になり、後年には一部を銭貨で代用したり、支給時期を遅延させたりするなどの措置が取られるようになった。
季禄との相違点と官位の優越性
位禄と混同されやすい制度に「季禄」があるが、両者には明確な性質の違いが存在する。位禄が「位階(ランク)」に基づいて支給されるのに対し、季禄は「官職(ポスト)」に就いていること、すなわち実際に勤務していること(出勤日数)を条件として支給された。位禄は、位階を剥奪されない限り、散位(官職を持たない者)であっても受給できる権利であったため、官人の身分保障としての性格が強かった。一方で、多くの官人は特定の官職に就いていたため、位禄と季禄の両方を重複して受給することが一般的であった。これにより、中堅以上の官人は二重の給与体系による恩恵を享受し、安定した経済基盤を確立していたのである。位禄の存在は、律令国家が職務上の功績だけでなく、血統や家格に紐付いた位階そのものを重視していたことを如実に示している。このような官位相当制による給与の差別化は、官僚制の中に強固な階級意識を植え付ける要因となった。
位禄支給額の規定例(養老律令による推計)
| 位階 | 絁(絹) | 糸 | 布 | 鍬 |
|---|---|---|---|---|
| 正四位 | 10疋 | 10絇 | 20端 | 20口 |
| 従四位 | 8疋 | 8絇 | 16端 | 16口 |
| 正五位 | 6疋 | 6絇 | 12端 | 12口 |
| 従五位 | 4疋 | 4絇 | 8端 | 8口 |
制度の変質と衰退への道のり
平安時代に入ると、律令制の弛緩とともに位禄の支給体制にも大きな変化が生じた。地方行政の変質により、中央への税収が滞り始めると、位禄の財源となる調や庸の物資が不足し、定額通りの支給が困難になった。これに対応するため、政府は「禄摺(ろくすり)」と呼ばれる支給額の削減や、特定の国を「給源国」として指定し、その国の税収から直接官人へ支払わせる「便受(べんじゅ)」などの暫定措置を導入した。しかし、これらの対策も根本的な解決には至らず、10世紀以降になると、位禄は名目上の制度へと形骸化していった。官人たちは、国家からの給与に頼るのではなく、自ら開発した荘園からの収入や、地方官(受領)として赴任した際の私的な蓄財へと経済基盤をシフトさせていった。このように、位禄の衰退は、律令国家による一元的・中央集権的な経済管理能力の限界と、中世的な土地所有制度への移行を象徴する出来事であったと言える。
位禄の歴史的意義と評価
位禄は、古代日本が大陸の進んだ統治システムを取り入れ、独自の官僚国家を運営しようとした努力の結晶であった。それは、土地を通じた封建的な主従関係とは異なる、位階という公的な指標に基づいた公正(建前上)な分配システムを目指したものであった。位禄を通じて物資が中央に集積され、それが官人を通じて再び都市経済へと流出するプロセスは、初期の都市形成や市場経済の活性化にも寄与した側面がある。しかし、生産力の向上や社会構造の変化に対応しきれず、現物給付に固執したシステムは最終的に破綻を迎えた。それでも、位禄によって形成された官位の序列意識や貴族文化の伝統は、その後の武士の時代においても位階制度として形を変えて生き残り、日本の社会階層の根底に長く影響を及ぼし続けたのである。位禄の研究は、単なる給与制度の調査に留まらず、律令国家の経済実態や階級構造を解明する上で欠かすことのできない重要な鍵となっている。