伊予掾
**伊予掾**(いよのじょう)とは、日本の律令制下における地方行政官職である国司のうち、伊予国(現在の愛媛県)の国衙(こくが)に配属された三等官(掾)を指す官名である。四等官制である「守・介・掾・目」の第三位に位置し、大国であった伊予国では大掾(だいじょう)と少掾(しょうじょう)の二員が置かれた。平安時代中期以降、官位が実務を離れて家格や名誉を示すようになると、**伊予掾**は特定の貴族や実務官人の家系が世襲したり、後世の江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎などの芸能関係者が受領名(ずりょうめい)として名乗る名誉称号へと変遷した。
律令制における伊予掾の職制と官位
律令制において、諸国の行政組織は国の規模や重要度に応じて「大・上・中・下」の四等級に区分されていた。伊予国は瀬戸内海の海上交通の要衝であり、豊かな農産物と塩の生産背景を持つことから「大国」に指定されていた。このため、**伊予掾**には正六位相当の「大掾」一名と、従六位相当の「少掾」一名の計二名が配置された。彼らの主な任務は、長官(守)や次官(介)を補佐し、国衙における公文書の審査、徴税実務、裁判の記録、さらには下位の書記官である「目(さかん)」や史生たちの指揮監督であった。大国の掾として、地方統治の実務を担う極めて重要なポジションであったといえる。
平安時代における伊予掾と文化人の関わり
平安時代に入ると、**伊予掾**は単なる地方官職以上の意味を持つようになった。特に著名なのは、平安中期の歌人として知られる清原元輔である。彼は三十六歌仙の一人であり、和歌の発展に大きく寄与したが、官人としては**伊予掾**に任じられ現地に赴任した記録がある。このように、当時の都の貴族や文官にとって、大国の掾というポストは一定の経済的基盤を得るための現実的な官職であり、地方の文化振興にも寄与する側面があった。また、この時代から徐々に官職が実務を伴わない形式的なもの(散位)へと移行し始め、後の受領名へとつながる端緒となった。
江戸時代の芸能受領としての伊予掾
江戸時代、**伊予掾**という呼称は劇的な変化を遂げる。本来の行政職としての機能は完全に消失し、代わって人形浄瑠璃や歌舞伎、邦楽の世界において、優れた技能を持つ演者や作者に対して朝廷から授与される受領名として普及した。これは「芸道受領」と呼ばれ、特定の太夫や家元が「**伊予掾**」を名乗ることで、一座の格式を上げ、幕府や民衆に対してその芸術的権威を証明する手段となった。特に大坂の竹本座周辺では、座主や有力な太夫がこの称号を得ることを至高の目標とした。
竹田出雲と伊予掾の継承
人形浄瑠璃の歴史において、**伊予掾**の名を最も高めた人物の一人が初代・竹田出雲である。彼は大坂の竹本座の経営を引き継ぎ、近松門左衛門らと共に黄金時代を築いた興行師であり、作者でもあった。彼は「**伊予掾**」を受領することで、座の社会的地位を不動のものとした。当時、芸能者が官位を得るには、武家や公家を介した煩雑な手続きと多額の献金が必要であったが、一度「**伊予掾**」を名乗れば、興行における検閲の緩和や、貴族社会への出入りが許されるといった実利的な恩恵も存在したのである。
清元節と伊予掾の家格
江戸浄瑠璃の一種である清元節においても、**伊予掾**の称号は重要な役割を果たした。清元延寿太夫の歴代の中には、朝廷から**伊予掾**を授けられた者がおり、これにより清元家は江戸の芸能界において他の流派を一線を画す高い家格を維持することができた。**伊予掾**は単なる名前の一部ではなく、伝統芸能における「正統性」と「最高峰の技術」を象徴するブランドとしての機能を果たしていたのである。
伊予掾を名乗った著名人の変遷
| 人物・役職名 | 区分 | 歴史的・文化的背景 |
|---|---|---|
| 清原元輔 | 平安官人 | 和歌の名手。実務官として**伊予掾**を歴任し、地方行政に関与。 |
| 竹田出雲(初代) | 江戸芸人 | 竹本座の興行師。人形浄瑠璃の発展に寄与し、**伊予掾**を受領。 |
| 宇治加賀掾 | 江戸芸人 | 浄瑠璃の古風を確立。彼に続く者たちが**伊予掾**などの受領名を求めた。 |
| 清元延寿太夫 | 江戸芸人 | 清元節家元。代々の中で、功績により**伊予掾**の官位を許される例があった。 |
近代における官位制度の終焉と伊予掾
明治維新後、明治政府による官制改革が行われ、従来の律令制に基づく官位制度や、芸能者への受領名授与の慣習は廃止された。これにより、公的に「**伊予掾**」を名乗る制度的な基盤は失われた。しかし、歌舞伎や浄瑠璃の台本、あるいは歴史的な記録の中には、かつて「**伊予掾**」として名を馳せた人物たちの足跡が色濃く残っている。今日では、古典芸能の系譜や古文書を研究する上での重要なキーワードとなっており、古代の行政システムが中世・近世の文化形成にどのように寄与したかを物語る象徴的な称号として認識されている。
まとめと歴史的意義
**伊予掾**という呼称の変遷を辿ることは、日本の社会構造の変化を象徴している。古代においては伊予国という地方行政の現場における実務的なリーダーであり、中世から近世にかけては、権威と芸術が融合した名誉の証へと昇華された。一つの官名が千年以上にわたって形を変えながら存続し、政治、文学、芸能といった多方面に影響を与え続けた事実は、日本文化における称号制度の特異性と、歴史的連続性の深さを示している。現代においても、愛媛県の歴史資料や伝統芸能の解説において、**伊予掾**の名は欠かせない要素として存在し続けている。