井上日召
井上日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4月12日 – 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の宗教家であり、昭和初期に過激な国家改造を企てたテロリスト組織「血盟団」の指導者である。本名は井上昭(いのうえ あきら)。日蓮宗の信仰を基盤とした独自の国家主義を唱え、「一人一殺」をスローガンに掲げて政財界の要人を暗殺するテロ工作を指揮した。彼の思想は、当時の社会不安や軍部の台頭と密接に結びついており、昭和恐慌下の日本において、急進的な右翼運動の象徴的な人物として知られている。出獄後も戦中・戦後を通じて右翼界の重鎮として活動を続け、日本の近現代政治史における狂信的なナショナリズムの系譜を語る上で欠かせない存在である。
生い立ちと満州での活動
井上日召は群馬県利根郡川場村の医師の家に生まれた。早稲田大学や東洋大学に学ぶも中退し、波乱に満ちた青年期を過ごした。1909年に清国へ渡り、満州(現在の中国東北部)で軍事探偵として活動した経験が、彼の政治的・国家的な意識を形成する土台となった。この時期、現地の工作活動を通じて大陸浪人や軍部との接点を持つようになり、日本の大陸進出を正当化する思想を深めていった。帰国後、自らの生き方に悩み宗教的な探求を始めた彼は、日蓮の教えに傾倒し、法華経による国家救済を確信するに至る。この宗教的信念が、後に彼を過激な行動へと駆り立てる原動力となったのである。
血盟団の結成と一人一殺の思想
1928年、井上日召は茨城県の大洗にある護国堂を拠点として、農村の青年や学生を集めて教育を施した。彼は、当時の腐敗した政党政治や財閥、特権階級が日本を滅ぼすと主張し、それらを排除することで天皇中心の「昭和維新」が実現されると説いた。ここで結成されたのが「血盟団」である。井上日召が考案した「一人一殺」という戦術は、組織的な武装蜂起ではなく、暗殺者が一人一人の標的を確実に仕留めることで、連鎖的に国家の変革を促すという極めて特異かつ暴力的な思想であった。彼は自らを宗教的指導者として位置づけ、実行犯となる若者たちに自己犠牲の精神を叩き込んだ。
血盟団事件の発生と裁判
1932年(昭和7年)、井上日召の指令を受けた団員らにより「血盟団事件」が引き起こされた。前大蔵大臣の井上準之助と、三井合名理事長の団琢磨が相次いで射殺され、日本社会に大きな衝撃を与えた。井上日召は首謀者として自首し、逮捕された。裁判において彼は、犯行の動機を「国家の腐敗を正すための宗教的救済」であると正当化し、法廷を自らの思想を宣伝する場として利用した。一審では死刑求刑に対し無期懲役の判決が下されたが、後の五・一五事件や二・二六事件へと続くテロの連鎖を誘発した責任は極めて重い。獄中にあっても彼の信奉者は絶えず、右翼勢力の中でのカリスマ性は維持され続けた。
恩赦と戦後の活動
1940年、紀元二千六百年の恩赦によって井上日召は仮出所した。その後、近衛文麿の門下に入り、右翼陣営の調整役としての立場を強めた。戦後は公職追放を受けたものの、追放解除後は「維新運動」の再建を目指して活動を再開した。1954年には「佐郷屋留雄」らと共に「護国団」を結成し、晩年まで新右翼や保守政界の背後で影響力を保持した。戦後の井上日召は、戦前のテロリズムとは異なるアプローチを模索しつつも、天皇崇拝を核とした国家主義の立場を崩すことはなかった。彼の活動は、戦後の日本における「伝統的右翼」の系譜を維持する重要な結節点となった。
井上日召と関連する人物・事件
| カテゴリー | 名称 | 関係性の概要 |
|---|---|---|
| 政治的影響 | 近衛文麿 | 釈放後の井上日召を庇護し、政治的な繋がりを持った。 |
| 思想的背景 | 北一輝 | 国家改造論において共通点があるが、井上日召はより宗教的色彩が強い。 |
| 直接的事件 | 五・一五事件 | 血盟団事件の続編とも言えるテロ事件。海軍青年将校らと連携していた。 |
| 影響を受けた人物 | 児玉誉士夫 | 戦後の右翼運動において井上日召の影響を受けたフィクサーの一人。 |
思想的特徴:法華信仰とテロリズム
井上日召の思想の根底には、田中智学らが唱えた「日蓮主義」の影響が強く見られる。彼は、末法思想的な危機感を背景に、現代の日本を救うためには「悪を滅ぼす慈悲」が必要であると説き、それが暗殺という形態をとることを肯定した。この論理は、自らの命を捧げることで国家を浄化するという「滅私奉公」の極端な解釈であり、後の特攻精神などにも通じる日本的ナショナリズムの深層を反映している。井上日召は単なる政治運動家ではなく、死を媒介とした魂の救済を説く宗教者としての顔を併せ持っていたため、その言葉は当時の絶望的な状況に置かれた青年たちの心に深く刺さったのである。
現代における評価
現代において、井上日召は法治主義を破壊した危険な扇動者として批判される一方で、日本の近現代史における「超国家主義」の心理構造を解明するための重要な研究対象となっている。彼の引き起こした事件は、暴力による現状打破がいかに容易にエスカレートし、社会を破滅的な方向へ導くかを示す教訓として語り継がれている。また、彼の自伝である『一目一人』などは、当時の右翼思想家の内面を知る貴重な資料となっている。井上日召という人物の評伝は、単なる犯罪史に留まらず、近代日本が抱えた精神的な闇を浮き彫りにするものである。