乳酸
「乳酸 (lactic acid)」はα-ヒドロキシ酸 (AHA) に分類される有機酸であり、分子式はC3H6O3、構造はCH3–CH(OH)–COOHである。常温で無色の粘稠な液体として存在し、水やエタノールに可溶で吸湿性を示す。生体内では解糖系の最終産物として生成し、pHが中性付近ではカルボン酸が解離した「lactate」(乳酸イオン)として存在するのが一般的である。食品では酸味料・pH調整剤、工業では溶媒・樹脂原料として広く利用され、医療では乳酸リンゲル液などの電解質補液にも用いられる。
基本性質
乳酸は弱酸性のモノカルボン酸で、酸性度を表すpKaはおよそ3.86 (25°C) である。水溶液中で強い水素結合能を持ち、金属カチオンと塩 (lactate) を形成する。においはわずかに酸味様で、粘性が高く、比重は水より大きい。加熱下では自己縮合してlactide (環状二量体) を生じ、これがポリマー化の起点となる。
- 乳酸の分子式:C3H6O3
- 別名:2-hydroxypropionic acid
- 主な形態:遊離酸 (lactic acid)/塩 (sodium/potassium/calcium lactate)
- 水溶性:高い、エタノールにも可溶
- 官能基:ヒドロキシ基とカルボキシル基 (α位)
立体化学
乳酸は不斉炭素 (C2) を1つ持ち、L-(+)-体とD-(−)-体のエナンチオマーが存在する。生体内で主要なのはL-体であり、酵素の基質選択性もL-lactateに偏る。一方、工業製品ではDL混合物 (racemate) がしばしば流通する。光学純度はPLAの結晶性や熱特性に影響し、L体比率が高いほど結晶化制御が容易である。
生体内での生成と代謝
解糖系でglucoseからpyruvateが生じ、嫌気条件や高強度運動時にはLDH (lactate dehydrogenase) がNADHを酸化しつつpyruvateをL-lactateへ還元する。生成した乳酸 (実際にはlactate) は血中へ放出され、肝臓でglucoseに再合成されるCori回路を循環する。酸性化の主因は乳酸そのものではなく、ATP加水分解やプロトン生成とのバランスで説明されるのが現在の理解である。
- 役割:NAD+再生により解糖を継続
- 輸送:MCT (monocarboxylate transporter) により細胞間シャトル
- 代謝:肝臓・腎臓で糖新生、心筋で酸化基質
製造法
工業的には糖質原料 (デンプン加水分解液等) をLactobacillus属で発酵し、生成する乳酸を石灰中和でcalcium lactateにし、酸処理で遊離酸に戻すプロセスが一般的である。副生成物が少なく、光学純度を制御しやすい。化学合成経路も報告されるが、原料調達性・環境負荷の観点から発酵法が主流である。
用途
乳酸は食品・医療・化学材料で用途が多岐にわたる。食品では酸味付与、pH調整、微生物制御に寄与し、肉製品の保水性や風味安定化に有効である。医療では乳酸リンゲル液として循環血液量の補正に用いられ、代謝でbicarbonate相当の塩基供与体となる。化学分野では乳酸エステル (ethyl lactate) が生分解性溶媒として注目され、洗浄・塗料・インク分散に利用される。
- 食品:酸味料、pH調整、発酵食品の風味設計
- 医療:電解質補液、外用AHA製剤の角質ケア
- 化学:生分解性溶媒、金属表面の穏和な酸洗い
- 農業・飼料:保存性向上、pH管理
ポリ乳酸 (PLA)
乳酸の二量体lactideを開環重合して得られるPLAは、生分解性・バイオマス由来の熱可塑性樹脂である。フィルム、成形品、繊維、3D printing用フィラメントなどに用いられ、透明性と剛性を両立する。耐熱性や衝撃性は添加剤、結晶化促進、ブレンド (例:PBAT) で補強される。回収・堆肥化の設計や加水分解条件の最適化が実装上の鍵である。
安全性と取扱い
乳酸は食品用途で比較的安全とされるが、濃厚液は皮膚・眼に刺激性があるため保護具の着用が必要である。金属との接触で腐食を促進する可能性があり、貯蔵は樹脂ライニング容器やステンレスを推奨する。吸湿性ゆえに密栓し、直射日光と高温を避ける。排水は生分解性が高い一方、BOD負荷に留意する。
分析・品質管理
乳酸の定量にはHPLC (UV/RI) や酵素法 (LDH/lactate oxidase) が用いられる。食品・医薬・工業グレードで純度、色度、水分、比重、光学純度 (ee、[α]D) を確認し、金属不純物や有機副生成物を規格管理する。容器出荷ではロット間の粘度・酸価の再現性が重要で、工程内では発酵pHと残糖のモニタリングが歩留まりを左右する。
関連物質
- 乳酸ナトリウム/カリウム/カルシウム (lactate塩)
- lactide (PLA前駆体)
- ethyl lactate (溶媒)
- 乳酸菌、Cori回路、pyruvate
用語上の注意
「乳酸」は乳由来に限らない名称であり、牛乳の糖「lactose」とは別物である。日常会話で乳酸が「筋肉に溜まる」と表現されるが、実際にはlactateがエネルギー基質・酸塩基緩衝の役割も担う。食品表示や規格では遊離酸としての乳酸と、その塩であるlactateを区別して扱う点に注意する。用途設計ではpH、キレート性、塩形成、立体化学を総合的に考慮するのが有効である。