ロンドン秘密条約
ロンドン秘密条約は、第一次世界大戦中の1915年に、イタリア王国とイギリス・フランス・ロシアの協商国側とのあいだで秘密裏に結ばれた条約である。形式上は中立国であり、しかも三国同盟の一員であったイタリアが、領土拡張を条件に協商側へ寝返ることを取り決めたもので、戦時外交と秘密外交の典型例とされる。条約内容は戦後まで公表されず、公開されたのちには民族自決の原則や公開外交の理念と鋭く対立するものとして批判の対象となった。
締結の背景―イタリアの中立と「未回収のイタリア」
第一次世界大戦勃発時、イタリアはドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を結んでいたが、1914年には同盟義務を果たさず中立を宣言した。これは同盟が防衛的性格を持つと解釈され、オーストリア側の開戦を攻撃戦争とみなしたためである。同時にイタリア国内には、南チロルやトリエステ、イストリアなどオーストリア支配下のイタリア人居住地域を自国に併合しようとする「未回収のイタリア」の民族主義的世論が存在していた。政界では、どちらの陣営と結べば最大の領土的利益を得られるかという打算的な外交が展開され、イタリア政権は敵味方双方と秘密交渉を並行して進めていった。
条約締結の経緯
1914年末から1915年初頭にかけて、協商国側はイタリアの参戦を得るため、外相グレイらを中心に積極的な交渉に乗り出した。イタリア側ではサランドラ内閣と外相ソンニーノが主導権を握り、オーストリア側との交渉で得られる譲歩と、協商国側が提示する領土獲得案とを比較しながら、より有利な条件を引き出そうとした。最終的にイタリアは協商国側の提案を受け入れ、1915年4月26日、ロンドンにおいて秘密裡に条約が署名された。この時点でイタリア議会や世論は条約の具体的内容を知らされておらず、外交は少数の指導者によって密室で決定された。
ロンドン秘密条約の主な内容
協商国はイタリア参戦の見返りとして、中央同盟国の敗北後に広範な領土と権益を与えることを約束した。条約内容は細部にわたり複雑であるが、その要点は次のように整理できる。
- トレンティーノおよび南チロルをブレンナー峠までイタリアに割譲すること。
- トリエステ、ゴリツィア、イストリア半島の大部分など、オーストリア領沿岸地域の獲得。
- ダルマチア沿岸およびアドリア海の一部島嶼の割譲により、アドリア海におけるイタリアの優越を認めること。
- ヴァロナ(アルバニア)における権益およびアルバニアに対する影響力の承認。
- ドデカネソス諸島のイタリア領有の確認と、オスマン帝国領分割の際における一定の取り分の保証。
- 戦後の賠償金分配におけるイタリアの取り分の約束。
これらの条件は、イタリアの民族統一要求と帝国主義的膨張政策の双方を満たすものであり、協商国にとっては新たな同盟国を獲得する代償として受け入れられた。しかし、このような秘密の領土分割構想は、戦争目的が「民族自決」や「民主主義の防衛」であるとする後年の大義名分とは大きく異質であった。
イタリア参戦と戦局への影響
ロンドン秘密条約の署名から約1か月後の1915年5月、イタリアはオーストリア=ハンガリーに宣戦布告し、協商国側として第一次世界大戦に参戦した。イタリア軍はイゾンツォ川戦線などでオーストリア軍と激しい戦闘を繰り広げ、多大な人的損害を出したが、当初の期待に反して決定的な戦果を挙げることはできなかった。それでもイタリア参戦は、オーストリアが新たな戦線に兵力を割かざるを得なくなった点で、協商国側に一定の戦略的利益をもたらしたと評価される。一方で、国内では長期化する総力戦と犠牲の増大により、条約によって約束された戦後の領土拡張が一種の「代償」として意識されていった。
講和会議と「不完全な勝利」
1918年の終戦後、パリ講和会議においてイタリア代表団は、ロンドン秘密条約で約束された領土獲得を強く主張した。しかし会議の場では、ウィルソン大統領が唱えた十四か条の平和原則、とりわけ民族自決と公開外交の理念が大きな影響力を持っており、イタリアの要求はスラヴ系民族の自決と衝突した。その結果、イタリアはトレンティーノや南チロル、トリエステなどの獲得には成功したものの、ダルマチア沿岸の大部分やフィウーメ(リエカ)の扱いをめぐって思惑どおりの成果を得られなかった。この不満は「勝利なき勝利」「不完全な勝利」として語られ、戦後イタリア社会の不安定化やファシズム運動の台頭を促す一因となったと指摘される。
秘密外交への批判と歴史的評価
ロシア革命後、ボリシェヴィキ政権が旧帝政政府の外交文書を暴露したことで、ロンドン秘密条約を含む一連の秘密条約が国際世論に知られるようになった。これにより、列強が水面下で領土分割や勢力圏調整を進めていた実態が露わとなり、秘密外交への不信と批判が高まった。ウィルソンが掲げた「公開の外交」の理想や、戦後国際秩序を構想するうえでの民族自決の原則は、まさにこのような秘密条約の慣行を反省の対象として生まれたものである。歴史学においては、ロンドン秘密条約は、戦時中の権益分配と同時に、戦後の失望と民族主義の激化を生み出した要因として位置付けられており、第一次世界大戦が旧来の帝国主義的外交を根底から揺るがす契機であったことを示す象徴的事例とみなされている。
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