レーニンの死|ソ連体制と後継争いの転機

レーニンの死

レーニンは、1917年のロシア革命を指導し、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦を樹立した指導者である。そのカリスマ的な権威は新生ソヴィエト国家の統合の要であり、その生死は国家の行方を左右した出来事であった。1924年1月21日に起こったレーニンの死は、ソ連共産党内の権力構造を大きく変化させ、後継者争いを激化させる契機となっただけでなく、その後のソ連の社会主義建設や世界共産主義運動の方向性にも深い影響を与えた出来事として位置づけられる。

晩年の健康悪化と政治活動の制約

内戦と国政運営に追われたレーニンは、1920年代初頭にはすでに過労と持病に悩まされていた。1922年以降、彼は脳卒中を繰り返し、言語障害や運動機能の低下に苦しむようになる。1921年に導入されたネップ(新経済政策)をめぐる議論や、民族問題、官僚制の肥大化への危機感など、多くの政治課題が山積するなかで、レーニンは徐々に日常の政務から離脱せざるを得なくなった。モスクワ近郊ゴーリキーの別荘で療養生活を送りながらも、彼はボリシェヴィキ支配の行方や、党内で台頭しつつあったスターリンの権力集中に強い懸念を抱き続けた。

1924年1月21日 ゴーリキーでの最期

1924年1月21日、モスクワ近郊ゴーリキーの別荘でレーニンは急逝した。公式には脳出血による死とされ、度重なる脳卒中と動脈硬化による血管障害が直接の原因と説明された。死去の知らせはただちに党と政府の中枢に伝えられ、ソ連国内では喪が宣告される。新聞は特別号を発行し、革命の指導者の訃報を大きく報じ、各地の労働者や農民は追悼集会を開いた。こうしてレーニンの死は、単なる一個人の死ではなく、革命期から続いてきた一時代の終焉として受け止められたのである。

レーニン遺言と後継者争い

レーニンは晩年、党指導部の構成について意見をまとめた文書を残した。一般に「レーニンの遺言」と呼ばれるこの文書では、党書記長として権限を拡大していたスターリンの粗暴さと権力集中の危険性が指摘され、権限を制限すべきだと提案されていたとされる。一方で、トロツキーをはじめとする他の指導者に対してもそれぞれの欠点が述べられ、特定の後継者を名指しで指名するものではなかった。レーニンの死後、この文書の扱いをめぐり、スターリン、ジノヴィエフ、カーメネフら党内指導者は慎重な対応を取り、文書は党大会で限定的に紹介されるにとどまった。その結果、書記長として人事権を掌握していたスターリンは、権力基盤をさらに強化し、トロツキーをはじめとするライバルを徐々に政治の中枢から排除していくことになる。

遺体保存とレーニン廟の建設

レーニンの死去に際して、ソ連指導部は当初、遺体を通常の方法で埋葬する案と、長期保存して人民に公開する案の間で議論した。その結果、指導者崇拝と革命の象徴化を意図して遺体の保存が決定される。医師団と科学者たちは防腐処理を施し、モスクワの赤の広場に臨時の墓所が設けられたのち、のちに恒久的なモスクワ・レーニン廟が建設された。遺体はガラス棺に収められ、ソ連各地から訪れる大勢の人々が革命の指導者を崇拝する場となる。このような遺体保存と廟の建立は、レーニン個人を革命の「聖なる象徴」として固定し、のちにスターリンらが自らの正統性を主張するうえで利用されることになった。

ソ連国家と社会主義建設への影響

レーニンの死によって、ソ連は創設者不在の新たな段階へと入った。ネップ期の経済運営や、農民との関係、官僚制の抑制など、レーニンが問題提起していた課題は未解決のまま残された。後継指導部の中心となったスターリンは、「一国社会主義」論を掲げて権力を固め、1920年代後半から五カ年計画と強制的な工業化・集団化政策へと舵を切る。この過程で、レーニン時代の妥協的な側面やネップ的要素は後景に退き、国家権力が社会のあらゆる領域を統制する体制が形成されていった。国際的にも、コミンテルンを通じた革命輸出の路線は修正され、ソ連防衛を優先する姿勢が強まるなど、世界共産主義運動の方向性にも変化が生じた。

歴史的意義と評価

レーニンの死は、ソ連の政治体制と世界史の展開における重要な転換点であると評価される。革命の創設者が早逝したことにより、レーニン自身が構想していた党と国家の関係、官僚制の抑制、農民との協調など多くの問題は、彼の名を継承すると称する後継者たちの解釈に委ねられた。レーニン廟や指導者像による象徴化は、レーニンを歴史的権威として絶対化する一方、その名のもとで行われた政治や政策は多様であり、しばしば彼の意図との連続性が問われてきた。20世紀を通じて、歴史家や思想家は、マルクス主義の理論とソ連体制の現実の関係、そしてレーニンの死後に進んだ権威主義的傾向との関係をめぐって活発な議論を続けており、この出来事の歴史的意義は現在に至るまで検討され続けている。