ランゴバルド人
ランゴバルド人は、ゲルマン系の一民族であり、北ドイツのエルベ川流域に起源をもつとされ、やがてパンノニアを経て568年にアルボイン王の率いる集団がアルプスを越えてイタリアへ進入し、西ローマ帝国崩壊後の再編過程に決定的影響を与えた。彼らはティキヌム(後のパヴィア)を拠点に王国を建て、都市支配と地方分割統治を組み合わせた支配構造を形成し、ビザンツ帝国勢力・ローマ教皇・フランク王国とのせめぎ合いのなかで独自の法と社会を育てた民族である。
起源と移動
ランゴバルド人は、古くは「長いひげ」を意味する名称で呼ばれたと伝えられ、民族伝承はスカンディナヴィア方面を起点とする。考古・言語学的にはエルベ川流域のゲルマン文化圏に属し、5世紀以降に南東へ移動、パンノニアに定着して軍事貴族層を強化した。遊動的な戦士団と親族単位の結合が強く、戦時には「ファラ」と呼ばれる集団が行動単位となった。
イタリア征服と王国の成立
568年、アルボインが率いるランゴバルド人はイタリア北部へ侵入し、ティキヌムを落として王国の核を築いた。ロンバルディアの地名はその支配に由来する。占領は一挙ではなく段階的であり、北部の都市圏に加えて中部のスポレート公国、南部のベネヴェント公国が半独立的に広がり、イタリア半島に多数の公国が並立する政治地図が出来した。ラヴェンナやローマなどの要地には依然としてビザンツの勢力が残存し、境域は流動的であった。
政治制度と社会
ランゴバルド人の統治は、王(レクス)と公(ドゥクス)を頂点に、都市・地方に配置されたガスタルド(行政・司法官)が支えた。貴族は軍事と土地所有を通じて権力を保持し、自由民戦士であるアリマンニが軍事的中核を担った。ローマ系住民は都市行政と経済の継続性を提供し、ローマ法とランゴバルド法が併存する法的二重構造が生まれた。
都市と城塞
イタリアの都市は古代末期の防御化を引き継ぎ、城壁と要塞化が顕著であった。諸都市は公国の中心として徴税・軍事動員・裁判を担い、周辺農村からの収奪だけでなく市壁内の手工業や交易にも依存した。
宗教と文化
初期のランゴバルド人はアリア派キリスト教の影響を強く受けたが、バイエルン出身の王妃テオドリンダのもとでカトリック受容が進み、教会や修道院が保護された。モンツァの宝物や「鉄の王冠」に象徴される王権の儀礼化は、ラテン世界との融合を示す。人名学的には−プラント、−ペルトといったゲルマン語系の要素が顕著で、言語的痕跡は地名・法用語・人名に残るが、次第にラテン語文化へと同化が進行した。
テオドリンダの役割
テオドリンダは教皇・カトリック勢力との和解を促し、教会建設と聖遺物の奉献を通じて王権の正統性を演出した。彼女の施策は宗派対立の緩和と王国の制度化に寄与した。
法律と経済
643年、ロータリ王は「ロータリの勅法(エディクトゥム・ロータリ)」を公布し、慣習法を成文化した。そこには血の復讐の抑制や補償金(ウェルギルド)の規定、所有権・婚姻・身分などの明文化が見られる。経済は地中海交易の縮小期にあって在地化が進み、荘園的経営と軍役義務を結びつける体制が拡大した。貨幣流通は細りつつも王国・公国の鋳造が行われ、徴税・課役・通行税が財政基盤となった。
ロータリの勅法の意義
勅法はラテン語で記され、ローマ法の影響を受けながらもゲルマン的慣習を反映した点に特色がある。法の公開と王命の優越は、貴族間の私闘を抑え王権を制度化する手段であった。
南部公国と存続
北部王国が外圧に晒される一方、ベネヴェントやスポレートのランゴバルド人公国は長く自立性を保った。とりわけベネヴェントは地中海交易と山岳防御を組み合わせ、ラテン・ロンバルドの混淆文化を形成した。南部は9世紀以降もノルマン勢力の到来まで複雑な勢力図を示し続ける。
フランク王国による征服と遺産
8世紀、教皇領の保全をめぐる政治が転換すると、カール大帝は774年にパヴィアを陥落させ、デシデリウス王を廃して「ランゴバルドの王」の称号を継承した。これにより北部のランゴバルド人王国は終焉を迎え、イタリアはカロリング朝体制下に組み込まれた。ただし法・身分・地名・司教座制度などの遺産は存続し、「ロンバルディア」の地名が示すように地域的同一性は中世イタリアの枠組みに深く刻み込まれた。
王と公の列挙
- アルボイン:イタリア進入の主導者
- アギルフ:王権強化と対外戦の推進
- ロータリ:勅法の公布で法制化を推進
- リウトプラント:教皇・ビザンツと巧みに均衡
- デシデリウス:王国最後の王、774年に退位
史料と研究
ランゴバルド史の基本史料は、8世紀末の歴史家パウルス・ディアコヌス『ランゴバルド人の歴史』であり、口承や年代記を編んだ民族叙述である。考古学は埋葬施設・副葬品・武具から社会構造を復元し、法史学は勅法と後続補遺の比較を通じて王権と貴族の力学を明らかにする。ローマ世界の連続性とゲルマン的要素の融合という視角から、ランゴバルド人は「古代から中世への移行」を示す重要なケーススタディである。