ムガル帝国の興隆と衰退|中央集権の成立と地方分権の進行

ムガル帝国の興隆と衰退

ムガル帝国は、16世紀初頭に中央アジア系ティムールの末裔が北インドに築いたイスラーム王朝であり、アクバルからシャー・ジャハーンにかけて最盛期を迎え、アウラングゼーブの長期遠征と18世紀の地域化を経て権威が空洞化した過程を示す。すなわちムガル帝国の興隆と衰退は、火器の導入、包含的統治、徴税改革、宮廷文化の精華といった上昇要因と、軍事的過伸長、財政の逼迫、地方勢力の自立、対外侵攻、海上勢力の伸長といった下落要因が交錯する長期ダイナミクスである。

建国と初期の拡大

建国者バーブルは、パンパットの戦い(1526)で火器歩兵と騎兵戦術を活用して北インドの覇権を掌握した。彼の出自はティムール家に連なり、草原的軍事力とイラン・トランスオクシアナの行政文化を併せ持つ。継承者は内紛や外敵を制しつつ、ガンジス上流からデリー一帯を統合し、のちの全インド的王権の核を築いた。背景には、先行王朝デリー・スルターン朝の行政遺産と、広域流通の結節点としての北インドの地理的優位があった。

戦術革新と火器の意義

ムガル軍は大砲と銃の体系的運用により、騎兵突撃に依存する在地勢力を圧倒した。この技術優位は、編制の常備化と補給線の整備を促し、征服と定着を連動させる基盤となった。

アクバルの統合と包摂

アクバル(位1556–1605)は、マンサブダール制(身分等級に応じた軍役・給与)とジャーギール(俸給地)を軸に軍政を再編し、各地の在地勢力を帝国秩序へ組み込んだ。土地台帳と査定に基づく徴税(zabt)は、貨幣経済の浸透とともに歳入を安定化させ、宮廷・軍事・公共事業の持続を可能にした。宗教面ではṣulḥ-i kul(普遍的平和)理念の下、ヒンドゥー貴族やジャイナ教徒など多元的共同体を朝廷に引き寄せ、儀礼と人事に寛容の原理を埋め込んだ。

  • 在地武装層の官僚化:功績と忠誠に応じた転補で帝国直隷化を推進
  • 財政の可視化:作柄・価格を勘案する査定で税基盤を安定
  • 宗教寛容の制度化:朝議・討論の場を設け、対立の暴発を抑制

最盛期の領域と宮廷文化

17世紀前半、シャー・ジャハーン期にはデリー・アーグラ・ラホールの三角圏を中心に領域は最大級となり、庭園都市とモスク、廟建築が都城空間を飾った。宮廷はペルシア語文芸、細密画、宝飾工芸の粋を集め、国際交易ではインド綿布・香辛料・宝石が地中海世界と東アジアを結ぶ連鎖に組み込まれた。貨幣流通の拡大は市場を活性化し、都市ハトラや港湾に手工業と商人組合が育った。

都城と象徴政治

幾何学庭園と巨大建築は王権の秩序・正統性を可視化し、巡幸や閲兵と結びついて「見る政治」を形成した。宮廷儀礼は臣僚の序列を再確認させ、帝国中心への忠誠を更新した。

アウラングゼーブの拡張と矛盾

アウラングゼーブ(位1658–1707)はデカン長期遠征により領域を拡張したが、継戦費用の増大と俸給地の不足が「ジャーギール危機」を顕在化させた。地方の徴税権は切り売りされ、官僚・武人の不満が離脱を誘発した。さらに宗教規範の再強化は一部共同体の反発を生み、マラーター勢力やシク教徒の抵抗と結びついて後背地の治安を動揺させた。帝国は広大化するほどに統治コストが逓増し、財政と軍事の均衡が崩れた。

財政・軍制の行き詰まり

遠征の固定費化は歳入の伸びを上回り、貨幣鋳造・徴発・年貢前貸しに依存する悪循環を招いた。官僚の転補は短期化し、徴税の現場裁量が拡大して腐敗を誘発した。

18世紀の地域化と帝権の空洞化

18世紀初頭、帝都は度重なる継承争いと外敵侵入に晒され、1739年にはイラン勢力の侵入で首都が蹂躙され威信が失墜した。これ以降、ベンガル・アワド・ハイダラーバードなどの太守政権が半独立化し、帝権は儀礼的存在へと後退する。海上では欧州商社の軍事商業複合体が台頭し、港湾・関税・内陸交易路の掌握を通じて内政に介入した。宮廷は名目的承認権を保持したが、実力は地方と外国勢力に分散した。

国際環境の変化と交易秩序

銀の流入と綿布輸出に支えられた17世紀の繁栄は、18世紀の価格・通貨変動、戦費の増大、私設軍拡大によって脆弱化した。地域社会は自衛のため自立化を進め、帝国中心は徴税・軍事・儀礼の三要素を統合できなくなった。

文化的遺産と長期的意義

ムガルの宮廷文化は建築・絵画・書法・言語の融合を促し、のちのウルドゥー詩や都市景観、礼儀作法に深い痕跡を残した。統治面でも、土地査定・官僚制・宗派間協調の試みは、インド政体の比較史において持続的参照枠となっている。騎馬・火器・官僚・市場・信仰という異質な制度群を調停しうるのかという課題設定は、現在に至るまで政治社会の基本問題であり続ける。

本稿の理解を補うため、関連項目としてイスラーム、中央ユーラシアの帝国形成に連なるモンゴル帝国、北インド中世の政治的基層であるデリー・スルターン朝、王権の個別像としてアクバル・シャー・ジャハーン・アウラングゼーブ、建国者バーブルを参照するとよい。