ボリビア革命|鉱山国有化と改革の転機

ボリビア革命

ボリビア革命とは、1952年にボリビアで起きた政変と社会変革の総称であり、鉱山資本と軍部を軸にした旧来の権力構造を崩し、普通選挙の拡大、鉱山の国有化、農地改革などを通じて国家と社会の再編を目指した出来事である。ラテンアメリカにおける資源ナショナリズムと大衆政治の高揚を象徴し、以後のボリビア政治の争点を長期にわたって規定した。

背景

革命の前提には、少数の鉱山資本家がスズ鉱業を中心に経済を左右し、政治参加が制限されていた社会構造がある。加えて1932年から1935年のチャコ戦争の敗北は、国家運営への不信と軍の権威低下を招き、若手将校や知識人、労働運動が急速に政治化した。世界恐慌以降の一次産品価格の変動は、輸出依存経済の脆弱性を露呈させ、国の富が誰の利益に結び付くのかという問題意識を強めた。こうした状況の中で民族主義を掲げる政治勢力が台頭し、都市の中間層と鉱山労働者の結合が進んだ。

また、ボリビアでは先住民人口の比率が高い一方、土地所有と教育、行政へのアクセスが著しく偏っていた。農村部では大土地所有の下で従属的な労働関係が残存し、都市では労働組合が賃金や労働条件の改善だけでなく政治改革を要求するようになった。こうした社会的緊張が、選挙結果の扱いをめぐる対立と結び付くことで、体制転換の契機が生まれた。

関連する概念としては、民族主義社会主義普通選挙労働組合などが挙げられる。

1952年の政変と権力移行

1952年、革命民族主義運動(MNR)を中心とする勢力が政権を掌握し、軍の一部や警察、そして鉱山労働者の組織的行動がこれを後押しした。首都での武装衝突を経て旧体制は崩れ、政治の正統性は限定的なエリート層から大衆層へと移動した。新政権は国家の再建を急ぎ、行政機構の刷新とともに、社会改革を一体で進める路線を採った。

鉱山労働者と民兵

革命の局面で重要だったのは鉱山労働者の動員力である。鉱山は輸出と財政に直結する戦略部門であり、労働者は高い組織性を持っていた。革命後には武装した民兵が治安と政治過程に影響を及ぼし、国家権力が軍だけに独占されない状況が一時的に生まれた。これは社会参加の拡大を象徴する一方、武装勢力の併存という統治上の難題も伴った。

主要な改革

革命が目指したのは、政治的包摂と資源配分の転換である。政策は相互に結び付き、国家の性格を変えることを狙った。

  • 政治参加の拡大: 制限選挙を改め、成人の幅広い層に参政権を認めた。これにより先住民や農民が政治主体として可視化され、政党と行政は新たな支持基盤に対応する必要が生じた。
  • 鉱山の国有化: スズ鉱業を中心に国家の統制を強め、資源収益を公共目的へ振り向ける構想が進められた。国有化は財政と産業政策の柱となり、同時に国際市場と外部資金への依存を別の形で深める契機ともなった。
  • 農地改革: 大土地所有の解体と農民の地位向上を掲げ、農村の支配関係を転換した。土地の再配分は社会正義の要求に応える一方、生産性や流通体制の整備が追い付かない場合には供給面の課題を残した。

この段階で争点となったのは、国有化と土地改革をどの速度で進め、国家財政と社会安定をどう両立させるかであった。国家主導の改革は期待を集めたが、物価や外貨、行政能力の制約は常に政策運営に影を落とした。

国際環境と経済運営

1950年代は冷戦が深まる時期であり、革命政権は急進的変化と対外関係の維持の間で舵取りを迫られた。資源国の国有化は国際的な警戒を招き得る一方、ボリビアは輸出市場と資金援助に依存しやすく、対外関係の断絶は現実的ではなかった。結果として、改革の理念とマクロ経済の安定策が併走する形になり、インフレ抑制、財政再建、為替管理などの政策が政治課題として浮上した。

この文脈では、冷戦インフレーション財政政策といった用語が理解の助けになる。革命は国内の社会矛盾への回答であると同時に、国際秩序の制約下で持続可能性を問われる試みでもあった。

その後の展開と歴史的位置付け

革命期の改革はボリビア社会に深い変化をもたらしたが、政治連合の亀裂、経済運営の困難、治安と軍の位置付けをめぐる対立が重なり、1960年代半ばには軍事クーデターへと局面が移行した。以後、改革の遺産は否定と継承の間で揺れ、国有化と民営化、農村政策、先住民の権利、国家の役割をめぐる議論が繰り返されることになる。つまりボリビア革命は単発の事件ではなく、国家が「誰のために存在するのか」という問いを制度と政策の形で突き付け、後代の政治選択に長い影響を与えた転換点として位置付けられる。