ブルゴーニュ公
ブルゴーニュ公は、中世後期フランス王国の一大諸侯であり、ディジョンを中心とする旧ブルゴーニュ公国に加え、フランドル・アルトワ・ブラバントなど低地地方を取り込み、14〜15世紀に「ブルゴーニュ国家」とも呼ばれる広域支配を築いた権力者である。とりわけヴァロワ家の諸公(フィリップ豪胆公、ジャン無怖公、フィリップ善良公、シャルル突進公)は、王権に匹敵する財力と官僚制、洗練された宮廷文化を整え、百年戦争期のフランス政治の帰趨に決定的な影響を及ぼした。
起源と称号の成立
称号の起源はカロリング朝後、ロベール家・カペー家の分家が継いだ公領にさかのぼる。中世盛期にはフランス王権の封臣としての地位にあったが、領域はフランス本土のブルゴーニュ(ディジョン周辺)と、神聖ローマ帝国側のフランシュ=コンテ(ブルゴーニュ伯領)とに分かれ、法的性格も異なっていた。後にヴァロワ=ブルゴーニュ家が相続と婚姻で低地諸州を獲得し、ブルゴーニュ公の実力は飛躍的に増大する。
カペー・ヴァロワ期の拡張
1363年にフランス王ジャン2世の子フィリップ豪胆公が封ぜられると、家門はフランドル女相続人との婚姻で巨大な富を得た。毛織物生産と海上交易で栄えたフランドルの都市群(ブリュージュ、ガン、イープルなど)は、歳入の要であり、毛織物と関税収入は宮廷の財政を支えた。こうしてブルゴーニュ公は、フランス王侯の一員にとどまらず、低地地方の実質的支配者へと変貌した。
百年戦争と内政介入
百年戦争では、ジャン無怖公がパリ政治に深く介入し、アルマニャック派と対立して内乱を激化させた。アジャンクール(1415)後、王権が弱体化すると、フィリップ善良公は外交で英仏の間を巧みに渡り歩き、領土と特権を拡大した。この時期、フランス王室(ヴァロワ朝)との緊張は続き、ブルゴーニュ公は王権と都市の間で均衡を取りつつ、自治都市の反乱には軍事力で臨んだ。
婚姻・外交と領域国家の形成
ヴァロワ=ブルゴーニュ家は、相続と婚姻を通じてアルトワ、ブラバント、リンブル、ルクセンブルクなどを取り込み、連合的な「領域国家」を形成した。各領邦の慣習・特権(ジョワイユーズ・アン トレなど)を承認しつつも、会計院・枢密院・高等法院といった中央諸機関を整え、代理官(バイリ、バルフ)を派遣して統治の標準化を図った。こうしてブルゴーニュ公は、分権的慣行を生かしつつ統合を進める巧緻な政治術を示した。
シャルル突進公と挫折
シャルル突進公(在位1467–1477)は、ロレーヌからスイス方面へ回廊を築く大計を抱き、ブルゴーニュを王国へ格上げする野望を示した。しかしスイス同盟軍との戦い(グランソン、ムルテン)で敗退し、ナンシーの戦い(1477)で戦死する。これにより公国の軍事的膨張は頓挫し、王権復興を図るフランス側がブルゴーニュ本公国を回収する契機となった。
ハプスブルク継承とその後
唯一女相続人マリー(マリア)がハプスブルク家のマクシミリアンと結婚し、低地諸州とフランシュ=コンテはハプスブルク系へ移った。アラス条約(1482)とセンリ条約(1493)を経て、ディジョン周辺の本来のブルゴーニュ公国はフランスに併合され、一方で低地諸州はハプスブルクの下で独自の政治的展開を辿る。以後、「ブルゴーニュ公」という称号は歴史的遺産として語られる比重を増す。
宮廷文化と権威演出
フィリップ善良公の宮廷はヨーロッパ随一の洗練を誇り、金羊毛騎士団(1430)の創設、タペストリーと写本装飾の保護、祭礼と儀礼の演出によって権威を可視化した。祝祭は都市と領主の関係を再確認する装置であり、儀礼秩序は公権の正統性を支えた。これらはのちの宮廷国家像の先駆と評価される。
都市・財政・軍事
- 都市財源:フランドルの関税・物品税・消費税が中核。とりわけ毛織物の輸出は歳入の柱であった。
- 官僚制:会計審査・文書管理の制度化により、徴税と支出の統制を強化。
- 軍事力:常備化の進展と傭兵活用により、有事に迅速動員が可能となった。
フランス王権との関係
ヴァロワ王家との親族関係にもかかわらず、ブルゴーニュ公はたびたび半独立的行動を取り、王国統合の障害とも映った。エドワード派との接近やパリ政治への干渉は、エドワード3世期にさかのぼる英仏抗争の文脈でも理解され、ギエンヌ(アキテーヌ地方、ギエンヌ地方)を巡る覇権争いとも連動していた。
用語と史料上の注意
「ブルゴーニュ」という語は、フランス側の公国(ディジョン中心)と、帝国側の伯領(フランシュ=コンテ)を含意しうるため、文献によって射程が異なる。加えて、低地諸州の集合体を指す政治的名称として用いられる場合もあり、時代・文脈の確認が不可欠である。研究史では、連合国家・複合君主政の典型として論じられることが多い。
主要人物と関連項目
- フィリップ豪胆公/ジャン無怖公/フィリップ善良公/シャルル突進公
- ヴァロワ朝とフランス王権の再建、王国統合政策との相克
- 対外関係:英仏抗争(百年戦争)と都市同盟、スイス同盟との戦争
- 経済基盤:フランドル都市の行財政、自律と服属のせめぎ合い
総じて、ブルゴーニュ公は中世末ヨーロッパの「王国未満・諸侯以上」の実力を体現し、封建秩序から近世国家への移行を読み解く鍵概念である。その政治手腕、財政運営、宮廷文化は、のちのヨーロッパ君主制の制度設計と演出に深い痕跡を残した。