ブリュメール18日のクーデタ
ブリュメール18日のクーデタは、1799年11月9日(フランス革命暦ブリュメール18日)に行われた政変であり、フランス革命期の総裁政府を倒して統領政府を樹立し、若き将軍ナポレオン・ボナパルトを政権の頂点に押し上げた出来事である。このクーデタによって、1789年以降続いてきた革命期の政治的不安定はひとまず終息に向かい、軍事的カリスマによる権威的支配へと大きく方向転換したと評価されている。
フランス革命末期の政治状況
1790年代後半のフランスでは、テルミドールのクーデタを経てジャコバン独裁が崩壊し、1795年に制定された1795年憲法にもとづき、5人の総裁からなる総裁政府が発足していた。しかしこの体制は汚職や内部分裂が激しく、議会との対立も絶えず、安定した政権運営とは程遠い状態であった。インフレや失業など社会経済問題も深刻で、民衆の間では革命に対する幻滅が広がっていた。
対外的にもフランスは、第2次対仏大同盟との戦争を続けており、軍事的緊張は高まっていた。イタリア戦線や中東戦線では一時的な成功を収めつつも、戦争が長期化する中で、軍隊と将軍が国内政治に強い発言力を持つようになっていった。とくにイタリア遠征で頭角を現し、続くエジプト遠征で名声を高めたナポレオンは、フランス国内で圧倒的な人気と威信を誇る存在となっていた。
クーデタの準備と画策
このように不安定な内政と継続する対外戦争のなかで、一部の政治家や軍人は、議会にも総裁政府にも代わる強力な執行権を持つ政権を望むようになった。その中心人物となったのが、憲法学者として知られるシェイエスである。彼は総裁の一員に就任すると、旧体制を打破しうる軍事的後ろ盾としてナポレオンに注目し、政変計画に引き込んでいった。
- 内政の混乱と政権への不信
- 戦争継続による国家疲弊
- 軍と将軍の政治的影響力の増大
- シェイエスら改革派政治家の思惑
これらの要因が重なり、シェイエスやタレーランらは軍事力を背景とした合法的な政変、すなわち憲法の枠組みを形式的には維持しつつ、実質的には権力をナポレオンに集中させるクーデタを構想したのである。
ブリュメール18日のクーデタの経過
1799年11月9日、まず元老院に相当する「五百人会」と「元老会」をパリ近郊サン=クルーに移転させる決議が、「パリに対するジャコバン派の陰謀」を口実として採択された。これは議会をパリ市民から切り離し、軍の保護下に置くことで、クーデタを円滑に進めるための措置であった。ナポレオンは軍隊を率いて議会の安全確保を名目に行動し、政治の舞台に自らの武力を直接持ち込んだ。
- 議会のサン=クルー移転決議
- ナポレオンによる軍の動員と議会保護の名目
- 議場での激しい論争とナポレオンへの非難
- 軍の介入による議会の解散と新政権樹立
五百人会の議場に姿を現したナポレオンは、自らの安全と祖国の危機を訴え、憲法の改正を求めたが、議員の多くはこれを軍事独裁への道と見なして激しく反発した。罵声や暴力的な混乱のなかで、ナポレオンは一時危険な状況に追い込まれるが、弟リュシアンをはじめとする支持者と軍の介入により形勢は逆転した。最終的に議員たちは軍により議場から退去させられ、残った少数の議員によって総裁政府の廃止と新たな統領政府の樹立が決議された。
統領政府とナポレオンの台頭
クーデタの結果、総裁政府は廃止され、3人の統領からなる統領政府が臨時的に発足した。形式上は複数の統領が権力を分有する体制であったが、実際には第一統領となったナポレオンが圧倒的な実権を握ることになった。新たな憲法により、執行権は統領政府に集中し、議会の権限は大きく制限されたためである。この体制は、革命の名目を保持しつつも、強力な行政権をもつ事実上の独裁政権であった。
こうしてフランス革命期の共和政は、新たな形の権威主義的体制へと変質した。ナポレオンは国内の行政改革や法典整備を進めつつ、やがて自身の権力をさらに強化し、1804年には皇帝ナポレオンの誕生へと至る。ブリュメールの政変は、その長いプロセスの出発点として位置づけられるのである。
ブリュメール18日のクーデタの歴史的意義
ブリュメールのクーデタは、一方では革命によって生まれた諸制度を完全には否定せず、法や行政の近代的枠組みを維持した点で、旧体制への単純な逆戻りではなかった。他方で、議会主権や市民の政治参加よりも、秩序と安定、国家の統一を優先し、軍事的指導者に大きな権限を与える体制を生み出した点で、近代独裁の典型例ともみなされる。のちにナポレオンは欧州各地に勢力を拡大し、ナポレオン戦争を通じて革命の理念と国家主義、法の平等を広めながらも、同時に強権支配のモデルを提示することになった。
このクーデタは、革命の混乱に疲弊した社会が強力な指導者を求めるとき、民主的制度がいかに脆弱になりうるかを示す歴史的事例である。総裁政府から統領政府への移行を通じて、フランスは共和主義と権威主義のあいだを揺れ動き、その帰結としてナポレオン帝政を経験したのであり、それは近代ヨーロッパ政治の行方を決定づける大きな転機となったのである。
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