ヒッグス機構|素粒子に質量を与える理論枠組み

ヒッグス機構

ヒッグス機構は、ゲージ対称性を保ちながら素粒子に質量を与える理論的仕組みである。標準模型では複素スカラー場であるヒッグス場が真空で非零の期待値を取り、自発的対称性の破れが生じる。これにより電弱相互作用のゲージ粒子やフェルミオンが質量を獲得し、光子は質量ゼロのまま残る。2012年にLHCでヒッグス粒子が発見され、ヒッグス機構の枠組みが強く支持された。

背景:自発的対称性の破れ

ヒッグス機構の核心は自発的対称性の破れである。連続対称性が破れると本来は質量ゼロのゴールドストーン粒子が現れるが、局所(ゲージ)対称性の下ではそれらがゲージ場の縦偏極成分として取り込まれ、観測可能な質量のあるベクトル粒子が生まれる。これがエネルギースケールに応じた自由度の再配置を与える。

標準模型での実装

標準模型の電弱部は群SU(2)L×U(1)Yで表される。複素二重tのヒッグス場φに対し、ポテンシャルV(φ)=μ2|φ|2+λ|φ|4(μ2<0)が採用されると、基底状態は|φ|=v/√2(v≈246 GeV)となり、対称性はU(1)emへと自発的に破れる。ヒッグス機構はこの過程で必要な縦偏極を供給する。

ゲージ粒子の質量生成

電弱ゲージ結合定数をg,g′とすると、W±の質量はmW=gv/2、Zの質量はmZ=√(g2+g′2)·v/2で与えられる。混合角(ワインバーグ角)によりZと光子Aが直交成分として定義され、光子はゲージ対称U(1)emに守られて質量ゼロとなる。三つのゴールドストーン自由度がWとZの縦偏極へと「吸収」されるのがヒッグス機構の実効である。

フェルミオンの質量とユカワ結合

各フェルミオンfはユカワ結合yfによりmf=yfv/√2の質量を得る。すなわちヒッグス機構はゲージ粒子だけでなく物質粒子の質量源も一括して説明する。結合の大きさは世代ごとに異なり、味の構造(CKMやPMNS)とともに実験で決定される量である。

ヒッグス粒子の性質

自発的対称性の破れ後に物理的に残る実スカラーがヒッグス粒子hである。質量はmh≈125 GeV、崩壊はh→γγ、ZZ*、WW*、bȳ、τ+τなどが代表的で、結合の強さは粒子の質量に比例するという予言を持つ。これらの測定はヒッグス機構の検証に直接結び付く。

実験的検証の論点

  • 生成様式:グルーオン融合、ベクトルボソン融合、VH・ttH随伴生成の比率。
  • 崩壊分岐比:γγ、ZZ*、WW*、bȳ、ττなどへの分配が質量比例則に従うか。
  • スピン・パリティ:0+(スカラー)であることの角分布解析。
  • 自己結合:二重ヒッグス生成測定からλhhhを制約。
  • 有効場理論:高次演算子による偏差をグローバル解析で評価。

理論的含意と課題

ヒッグス機構は電弱理論の可換性とくりこみ可能性を両立させるが、自然さ(階層性)問題や真空安定性の議論を誘発する。トップ質量や強結合の値に依存して有効ポテンシャルの極小が準安定となる可能性が論じられる。さらに暗黒物質、ニュートリノ質量、重力との統合など、標準模型の外側に残る論点がある。

用語メモ

  • 自発的対称性の破れ:基底状態が対称性を持たない現象。
  • ゴールドストーン粒子:連続対称性の破れに対応する質量ゼロの励起。
  • 縦偏極:質量を持つベクトル粒子に追加される自由度。
  • 真空期待値v:v≈246 GeV。結合と質量の基準スケール。
  • ユカワ結合:フェルミオンとヒッグス場の相互作用強度。

歴史的経緯

1964年にBrout–Englert、Higgs、Guralnik–Hagen–Kibbleらが独立に機構を提案し、’t HooftとVeltmanがくりこみ可能性を確立した。2012年にLHCでスカラー粒子が観測され、2013年にノーベル物理学賞がEnglertとHiggsに授与された。これらの流れによりヒッグス機構は標準模型の柱となった。

最小記述(ラグランジアン像)

電弱ラグランジアンの要は、|Dμφ|2−V(φ)+(yf ψ̄LφψR+h.c.)であり、V(φ)=μ2|φ|2+λ|φ|4により自発的対称性の破れが誘起される。展開後にmW、mZ、mfとhの相互作用項が現れ、これが観測量と対応する。ここに現れる構造がヒッグス機構の実体である。

工学・計測との接点

巨大加速器では、トラッカーやカロリメータの精密計測、放射線耐性材料、高速データ収集とHPC解析が不可欠である。ベクトルボソン融合の前方ジェット計測やbタグ付けなど、信号抽出の技術は粒子識別・欠陥検査・画像解析などの産業応用とも手法的に接続する。ヒッグス機構の検証は、計測工学と情報処理の統合的最適化の成果でもある。

関連スケールと数値

真空期待値v≈246 GeV、代表的質量mW≈80.4 GeV、mZ≈91.2 GeV、mh≈125 GeV。結合はおおむね質量比例で整理されるため、重い粒子ほどヒッグスとの相互作用が強い。これらの数値的整合性がヒッグス機構の有効性を裏づけている。