ニホニウム(Nh)
ニホニウム(Nh)は原子番号113の超重元素であり、7周期・13族(pブロック)に属する合成元素である。2004年以降、理化学研究所(RIKEN)の森田浩介らのグループが重イオン核融合反応を用いた実験で生成・同定に成功し、2016年に国際純正・応用化学連合(IUPAC)により命名が承認された。名は「日本(Nihon)」に由来し、アジア初の元素命名として科学史的な意義が大きい。既知の同位体はいずれも短寿命で、化学実験は「1原子ずつ」の手法が前提となる。化学的にはタリウム(Tl)に類似する13族金属と見なされるが、強い相対論効果により+1価の安定化など独自の振る舞いが予測される。
位置づけと命名の経緯
ニホニウム(Nh)はZ=113の13族元素で、アルミニウム族の最重端に位置づく。IUPACは発見の正当性(再現性・崩壊系列の整合性・同定手順)を精査したのち、2015年にRIKENの発見を承認し、2016年11月に英名“Nihonium”、元素記号“Nh”を正式化した。承認までの間は“Uut(Ununtrium)”という系統名が用いられた。命名は研究の地理的・文化的背景を反映し、同時期に115(Moscovium)、117(Tennessine)、118(Oganesson)も確定して第7周期の最外殻が整った。
合成反応と検出技術
合成は重イオン加速器で標的核に入射核を衝突させる核融合反応により行う。RIKENでは209Biに70Znを照射し、蒸発中性子を伴う「冷たい融合」により原子核を生成後、ガス充填反跳核分離器(GARIS)で分離・同定した。生成断面積は極めて小さく、観測事象は稀であるため、崩壊連鎖のエネルギーとタイミングの相関から同定を行う。超重核研究では、微小信号のバックグラウンド抑制と時間相関解析が鍵である。
- 代表的反応例:209Bi(標的)+70Zn(入射核)→ 279*(複合核)→ 278Nh+n
- 検出:α崩壊エネルギー・連鎖時間相関、最後段での自発核分裂(SF)確認
- 装置:重イオン加速器(RILAC 等)、GARIS、シリコン検出器アレイ
同位体と崩壊様式
ニホニウム(Nh)の既知同位体は質量数およそ278~286の範囲にあり、主としてα崩壊を繰り返し、最終段で自発核分裂に至る。半減期はミリ秒~秒程度と短く、捕集・移送・化学分離の全工程を「数秒以下」で完結させる必要がある。α崩壊では原子番号が2ずつ減少し、111番元素レントゲニウム(Rg)や109番元素マイトネリウム(Mt)などを経由する系列が観測される。崩壊系列の同定は、母核・娘核それぞれの既知スペクトルとの照合が決め手である。
電子構造と相対論効果
理論計算では価電子配置は概ね[Rn]5f14 6d10 7s2 7p1と表されるが、スピン軌道相互作用により7p軌道が7p1/2と7p3/2に強く分裂し、7s2および7p1/2の安定化が顕著である。これにより、同族のAl、Ga、In、Tlと比べても+3より+1の酸化状態が熱力学的に相対的安定となる傾向が理論上示唆される。金属結合の性質や表面吸着の挙動も相対論効果で修飾され、実験的にはタリウム様だが一層「惰性的」な表面化学を示す可能性がある。
化学的性質の予測と単原子実験
バルク試料が得られないため、化学はオンライン熱クロマトグラフィーや気相クロマトグラフィーにより、単原子の吸着・移動・溶離挙動を検出する「one-atom-at-a-time」方式で進む。予測では金属学的には軟らかい後遷移金属で、単体は常温で固体と見込まれる。酸化数は+1が優勢で、+3は相対的に不安定化しやすい。ハロゲン化物や水酸化物の形成傾向はTlに近いが、生成自由エネルギーや気相親和性は相対論効果でずれる可能性がある。溶媒抽出・錯形成・表面吸着の微妙な差を数イベントから統計的に引き出す手法開発が課題である。
- 想定酸化状態:+1(優勢)、+3(劣位)
- 想定化学形:単原子金属、単核錯体、揮発性ハロゲン化物の一部
- 測定技術:オンライン分離、熱クロマトグラフィー、微小流路上での吸着検出
研究基盤と技術的波及
ニホニウム(Nh)研究は、重イオン加速器、超高純度標的製作、低バックグラウンド検出器、超高速化学系統など多領域の技術革新を促す。分離器や検出アルゴリズムの改良は、放射線計測・核セキュリティ・医療用同位体生成にも波及する。理論面では相対論的量子化学、有限核サイズ効果、強相関計算の検証場として価値が高く、核構造モデルの改良(魔法数の変化や殻効果の評価)にも寄与する。
安全性と取扱い
ニホニウム(Nh)は極微量かつ短寿命であり、一般環境に出回ることはない。生成は都度崩壊する単原子レベルで行われ、すべての操作は遮蔽・遠隔化・排気管理・モニタリングを備えた専用設備で実施される。研究目的以外の用途は存在せず、教育・学術的意義が中心である。
用語補遺
超重元素、核融合反応、α崩壊、自発核分裂、崩壊連鎖、相対論効果、スピン軌道相互作用、オンライン化学、熱クロマトグラフィー、分離器(GARIS)などの用語を押さえると、ニホニウム(Nh)の研究報告の読解が容易になる。