トルコ共和国世俗主義改革
「トルコ共和国世俗主義改革」は、第一次世界大戦後に成立したトルコ共和国において、ムスタファ=ケマル(のちのケマル=アタテュルク)が主導した一連の近代化政策であり、宗教と国家を切り離し、西欧型の近代国家を築くことを目指した改革である。スルタン制とカリフ制の廃止、宗教裁判所の解体、教育と法の世俗化、服装や文字・暦の改変など、多方面にわたる急進的な変革が実施され、トルコ社会の構造と価値観を大きく転換させた。
歴史的背景と目的
19世紀以降のオスマン帝国は、列強の圧力と内部の混乱のなかで改革を試みたが、イスラームを国家の支柱とする体制を維持し続けたため、近代化は部分的にとどまった。第一次世界大戦で帝国は敗北し、領土の多くが分割され、最終的にオスマン帝国滅亡へと追い込まれた。こうした状況のなかで、アンカラを拠点とするトルコ大国民議会が権力を掌握し、世俗的な民族国家の建設を掲げたのである。
アタテュルクにとって、宗教権威と結びついた旧体制の否定は、領土防衛や民族独立を実現したトルコ革命を完成させるために不可欠であった。イスラームを公的領域から退かせ、国家の主権を国民と議会に一元化することが、近代国家の条件であると考えられたのである。
政治制度における世俗化
政治制度の世俗化は、旧帝国の君主制と宗教的権威を制度的に取り除くことから始まった。政体は共和国とされ、主権の源泉はスルタンやカリフではなく、国民とその代表機関である議会に置き換えられた。この過程で、宗教の権威は信仰の領域に限定され、国家の正統性は世俗的な憲法と法律に求められるようになった。
スルタン制とカリフ制の廃止
1922年、アタテュルク政権は長く続いたスルタン制を終わらせるスルタン制廃止を断行し、オスマン家の君主は国外追放となった。これにより、世俗的な共和国と宗教的なカリフ制が一時的に並存する状態となったが、1924年にはカリフ制も廃止され、イスラーム世界の宗教的指導権を名目上も放棄した。これは、国家の正統性を宗教から切り離す決定的な措置であり、のちのイスラーム諸国に衝撃を与えた出来事である。
法制度と教育制度の改革
アタテュルクは、宗教に基づくシャリーア裁判所と世俗裁判所が並立する旧来の二重構造を解体し、スイス民法典などを範とする世俗的な民法・刑法を導入した。これにより、婚姻・離婚・相続といった家族法の領域でも宗教法は後退し、女性の権利拡大や法の下の平等が打ち出された。こうした取り組みは、帝国崩壊後の法秩序を再編し、近代的な市民社会を形成する基礎となった。
教育においては、宗教教育機関と官立学校が併存する状況を改め、教育を国家が一元的に管理する方針が採られた。メドレセ(イスラーム伝統の高等教育機関)は多くが閉鎖され、世俗科目中心の学校制度が整備された。読み書き能力の向上を目指した文字改革や義務教育の拡充は、国民国家としてのアイデンティティ形成にも大きく寄与した。
社会・文化面の世俗主義改革
社会・文化面でも、宗教的慣習からの脱却を意図した政策が実施された。アタテュルク政権は、伝統的な服装や宗教的象徴が公的空間を規定している状況を改め、帽子法や服装令により西欧風の服装を奨励した。また、アラビア文字に代わってラテン文字を採用し、公文書や教育の場で新しい文字体系を徹底したことは、国民の識字率向上とともに、オスマン時代との文化的断絶を象徴するものとなった。
- イスラーム暦からグレゴリオ暦への移行
- 金曜から日曜への休日変更
- 宗教的祝祭日の位置づけの見直し
これらの施策は、日常生活のリズムを欧米社会に近づけるものであり、国民が国際社会と接続するための時間感覚と生活習慣を再編した。とりわけ女性の公的空間への進出は顕著であり、選挙権・被選挙権の付与などにより、政治参加の門戸が開かれたことは重要である。
イスラームと国家の新たな関係
一連の改革により、トルコにおけるイスラームは国家権力の源泉ではなく、国家が管理する信仰の対象へと位置づけが変化した。宗教行政を統括する機関として宗務庁が設置され、モスクの運営や聖職者の任免は国家の管理下に置かれた。形式上は世俗主義を掲げつつも、宗教活動を国家が統制する仕組みが構築され、完全な分離ではなく「管理された世俗主義」という特徴をもつことになった。
このような体制は、イスラームと近代国家の関係という観点から、他のイスラーム諸国に対して一つのモデルとして意識されるようになった。トルコの世俗主義は、単に宗教を排除するのではなく、国家の枠組みのなかに宗教を再編成する点に特徴があり、その意味でトルコ革命とイスラーム諸国の動向を理解するうえでも重要な位置を占めている。
世俗主義改革の影響とその後
アタテュルクの世俗主義改革は、トルコをイスラーム帝国から近代的な民族国家へと転換させる原動力となった。改革は急進的であり、宗教的伝統との緊張をはらんでいたが、軍部と官僚機構が世俗主義を共和国体制の基本原則として守ることで、長らく政治秩序の柱となった。他方で、冷戦終結以降、都市化と民主化の進展にともない、敬虔な庶民層や保守的な政治勢力が力を増し、世俗主義のあり方をめぐる政治的対立も顕在化した。
それでもなお、アタテュルク期の世俗主義改革は、トルコが国際社会で独自の道を歩むうえで不可欠な歴史的経験であり、今日のトルコ政治を理解するための基盤となっている。近代化と宗教、民族主義と民主主義の関係を考えるうえで、この改革は20世紀世界史、とくにトルコ革命やオスマン帝国滅亡とあわせて検討される重要なテーマである。