タスマン|オランダ人探検家としての航海

タスマン

アーベル・ヤンスゾーン・タスマンは、17世紀に活動した地理上の探検の時代を代表するオランダ人航海者である。オランダ東インド会社に雇われたタスマンは、太平洋南部における新たな海路と領土の発見を目指して航海し、現在のタスマニアやニュージーランド沿岸に最初に到達したヨーロッパ人の一人とされる。その探検は、後にオーストラリアやニュージーランドの植民地化、さらには世界地図の更新に大きな影響を与えた。

生涯とオランダ東インド会社

タスマンは17世紀初頭にオランダで生まれ、若くして航海者となった。彼が所属したオランダ東インド会社は、香辛料貿易を中心にインド洋から太平洋へ広がる巨大な交易ネットワークを築き、地理上の探検を積極的に推進していた。バタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点とする同社は、既知の海域の安全な航路だけでなく、未知の南方大陸「テラ・アウストラリス」を探ろうとし、その任務の一端をタスマンに託したのである。

第1次航海とタスマニア・ニュージーランドの発見

1642年、タスマンはオランダ東インド会社の命を受けて、インド洋を南東へ進み、その後太平洋へ抜ける探検航海に出発した。この航海で彼は、現在のオーストラリア南東沖に位置する大きな島に到達し、当時の総督にちなみ「ファン・ディーメンス・ランド」と命名した。この島はのちにタスマニアと呼ばれ、タスマンの名を残す地名となった。さらに彼はニュージーランド南島の西岸にも達したが、先住民マオリとの接触は友好的ではなく、小規模な衝突を経て撤退したと伝えられる。

第2次航海と太平洋のさらなる探検

1644年の第2次航海で、タスマンは再びインド洋から太平洋にかけての未知の海域を測量した。この航海では、ニューギニアやオーストラリア北岸周辺の海図作成が進み、南方大陸の輪郭を把握する上で大きな成果をあげた。彼の航路記録や海図は、後の地理上の探検に利用され、ヨーロッパ人がオーストラリアやオセアニア世界を理解するための貴重な情報源となったと考えられている。

タスマンとオーストラリア・オセアニア世界

タスマンの探検は、のちにイギリス人航海者クックらによる地理上の探検へと受け継がれ、オーストラリアやニュージーランドの植民地化の前提を作った。彼の名はタスマニア島だけでなく、タスマン海やタスマン山脈など、オセアニア各地の地名にも刻まれている。一方で、これらの航海は先住民社会にとって、外来勢力の到来と支配の始まりをも意味しており、近年ではタスマンの功績とともに、その負の側面も歴史的に検討されている。

評価と歴史的意義

タスマンの航海は、当時のヨーロッパ人にとって「未知」であった南半球世界の実像に迫るものであり、世界地図の空白を埋める重要な一歩となった。彼の記録は、海洋国家オランダの勢力拡大と結びつきつつ、後世の地理上の探検や帝国主義的進出に利用された点でも歴史的意義を持つ。今日、タスマニアやオーストラリアの歴史を学ぶ際、アーベル・ヤンスゾーン・タスマンは、太平洋世界とヨーロッパ世界の接触を象徴する人物として位置づけられている。