ソ連の承認|列強が新政権を承認する過程

ソ連の承認

ソ連の承認とは、1917年のロシア革命と内戦を経て成立したソヴィエト政権を、諸外国が正統な国家として外交的に認める過程を指す用語である。当初、資本主義諸国はボリシェヴィキ政権を敵視し、外交関係や貿易を断絶したが、やがて現実的な利害から漸次承認へと転じ、20世紀国際秩序の再編に大きな影響を及ぼした。

成立の背景

背景には、第一次世界大戦とロシア帝国の崩壊、そして内戦の混乱があった。旧帝国の領域では、ウクライナベラルーシザカフカース、中央アジアのカザフウズベクなど多くの民族地域が独立や自治を主張し、各地で戦争と革命が交錯した。その中心都市の一つであるタシケントは、中央アジアにおける革命と内戦の重要な舞台となり、ソヴィエト政権は軍事力と宣伝を通じて支配を拡大していった。

欧州諸国による承認

しかし戦後不況の進行とともに、欧州諸国は現実的な通商関係の回復を求めるようになった。1922年のジェノヴァ会議の周辺で締結されたラパロ条約によって、ドイツはソヴィエト政権を相互承認し、両国は国交と経済協力を進めた。その後、イギリスやフランスなども、対ソ干渉の失敗と自国経済の事情から事実上の承認や国交樹立へと動き、ソ連はヨーロッパ外交の一員として扱われる度合いを高めていった。

アメリカ合衆国と日本の対応

アメリカ合衆国は、ボリシェヴィキの革命思想への警戒や、ロシア帝政時代からの対外債務問題を理由に承認を拒み続けたが、世界恐慌後の1933年になってようやくソ連を承認した。日本はシベリア出兵を通じてソヴィエト政権と長く対立したが、1925年の日ソ基本条約によって国交を樹立し、満洲や北東アジアの秩序をめぐって微妙な協調と対立を繰り返した。

事実上の承認と法的承認

国際法上、ソヴィエト政権との関係は、貿易協定などを通じて政府を実務上認める「事実上の承認」と、正式な国交樹立を伴う「法的承認」に分かれていた。諸国は自国世論や対ソ不信に配慮しつつ、まず限定的な通商関係から始め、徐々に大使交換や条約締結へと関係を引き上げることで、承認の段階を調整していった。こうした承認の進展は、後に制定されるソヴィエト社会主義憲法が前提としたソ連の国際的地位の確立にもつながった。

ソ連の承認の意義

  • ヴェルサイユ体制下で孤立していた革命政権を国際社会に組み込むことにより、欧州外交の枠組みを一定程度安定させようとする試みであった。
  • 各国が反共主義と貿易・安全保障上の利害を調整しつつ、対ソ政策を現実主義的に修正していく過程を示している。
  • ソ連側にとっては、承認が安全保障と経済発展の基盤となると同時に、国内での統治正統性を強化する象徴的な出来事でもあった。