スペクトル解析
スペクトル解析は、時間領域の信号を周波数領域へ変換し、成分周波数・位相・エネルギー分布を明らかにする手法である。機械振動、音響、電力・電子回路、通信、構造健全性評価などで広く用いられ、共振や周期成分、ノイズ源の同定、フィルタ設計、制御対象の理解に役立つ。代表的な実装は離散フーリエ変換(DFT)とその高速化手法であるFFTであり、パワースペクトル密度(PSD)やクロススペクトル、コヒーレンスなどの指標と組み合わせて使う。
基本概念と数学的背景
離散信号x[n]をDFTでX[k]へ写像することで、周波数f=k·fs/Nの複素スペクトルを得る。ここでfsはサンプリング周波数、Nはサンプル数である。周波数分解能はΔf=fs/N、観測時間T=N/fsに反比例し、解析できる上限はナイキスト周波数fs/2である。有限長観測では窓関数w[n]によりリーケージ(他周波数への漏れ)を抑える。ゼロパディングは周波数軸の補間を滑らかにするが、真のΔfを向上させない点に注意する。スペクトルの表示は振幅スペクトル、位相スペクトル、PSD(例:m/s^2/√Hz、V/√Hz)など目的に応じて選ぶ。
非パラメトリック推定
- ピリオドグラム:|X[k]|2からPSDを推定する基本法である。分散が大きいため平均化が実務上は必須である。
- Welch法:データを分割・オーバーラップし、それぞれを窓掛けして平均化することで分散を低減する。線形平均(振幅)とパワー平均の違いにも留意する。
- 窓関数の選択:HannやHamming、Blackman等は主ローブ幅とサイドローブ抑圧にトレードオフがある。狭帯域ピーク探索にはサイドローブ低い窓、近接ピーク分離には主ローブの細い窓が有利である。
- STFT:時間変化する信号に対して時間–周波数表現(スペクトログラム)を与える。窓長を伸ばせば周波数分解能が上がるが時間分解能は下がる。
パラメトリック推定
スペクトル解析の高分解能化にはモデル化に基づくAR/MA/ARMAが有効である。ARモデルでは自己回帰係数をYule–WalkerやBurg法で推定し、短いデータでも滑らかなPSDを得られる。次数はAICやBICで選定する。モデル不適合時には偽ピークや周波数偏りが生じるため、残差検定や非パラメトリック推定との併用で妥当性を確認する。
クロススペクトルと伝達関数
入力xと出力yのクロススペクトルGxy、自己スペクトルGxxから周波数応答関数(FRF)を推定できる。H1推定は入力側ノイズにロバスト、H2は出力側ノイズに強いという性質がある。コヒーレンスγ2(f)は0〜1で信頼性を示し、励振不足や非線形、ノイズ混入を示唆する。機械構造ではFRFのピークが固有振動数に対応し、ダンピングやモード形状の手掛かりとなる。
サンプリングとエイリアシング対策
ナイキスト理論により、対象の最高有効周波数fmaxの少なくとも2倍で標本化する必要がある。実務ではアンチエイリアシングLPFでfs/2未満へ帯域制限し、余裕を見てfs≧2.5〜5·fmaxとする。過大なfsはデータ量を増やすだけでΔf改善に寄与しないため、目的周波数帯に見合うfsと観測時間Tの設計が重要である。
実務での活用例
- 機械振動診断:回転数由来の1×、2×、歯車メッシュ周波数、軸受故障の特徴帯域(ケプストラム併用)を特定し、アンバランスやミスアライメントを判別する。
- 音響・騒音:共鳴ピークや定在波を特定し、吸音・遮音設計に反映する。オクターブ解析との併用で設計指針を作る。
- 電力・電子:THD、スイッチングリプル、電磁ノイズ源の寄与を定量化し、フィルタやシールド設計につなげる。
- 通信・計測:帯域占有、SNR、変調スペクトルの監視、周波数割当の検証、同期の評価に用いる。
結果の読み方と表示
ピーク位置は固有周波数や励振源を示し、ピーク幅は減衰や不確かさに関係する。PSDの面積は信号の分散(RMS2)に等しく、帯域積分で帯域RMSを得る。単位・正規化の取り扱い(1側/2側表示、RMS/peak、dB表示)を誤ると比較不能になるため、測定条件とスケーリングを明示する。平均化はノイズフロアを下げるが、短時間事象は埋もれやすいのでSTFT等と使い分ける。
正規化・窓補正の注意点
DFTの規約(1/N、1/√N等)により振幅は変わる。窓関数は等価雑音帯域幅(ENBW)でパワー補正が必要である。1側スペクトルは直流とナイキストを除き2倍係数を要する。装置ごとのFFTスケーリング仕様を確認し、比較時は同一規約へそろえる。
実装のコツ
- FFTサイズは2の累乗が高速だが、近年は任意長でも十分に速い。解析要件からTとΔfを先に設計する。
- ゼロパディングは読みやすさ向上に有効だが、真の分解能はTで決まる。ピーク分解には観測時間延長が本質的である。
- 同期計測でトラッキング(回転同期)を行うと、回転機のサイドバンド解析が安定する。
- 前処理としてDC除去、デトレンド、バンドパスやノッチで不要帯域を抑え、リーケージとエイリアシングを低減する。
- コヒーレンスや残差解析でモデル/測定の健全性を常に点検する。