ジョン=ブラウンの蜂起|奴隷制に抗した武装蜂起

ジョン=ブラウンの蜂起

ジョン=ブラウンの蜂起は、1859年にアメリカ合衆国バージニア州ハーパーズ・フェリーで起こった武装襲撃事件である。急進的な奴隷制廃止論者ジョン=ブラウンが連邦軍の兵器庫を占拠し、武器を奪って奴隷反乱を誘発しようとした試みであり、失敗に終わったものの、北部と南部の対立を決定的に深め、やがて南北戦争へとつながる重要な前兆とみなされている。この事件は、奴隷制度をめぐる妥協の余地が急速に失われたことを象徴する出来事である。

ジョン=ブラウンと奴隷制廃止運動

ジョン=ブラウンは、白人でありながら徹底した奴隷制廃止論者として知られた人物である。彼は若い頃から黒人は神の前で平等であると信じ、逃亡奴隷をかくまう活動に関わった。こうした地下組織的な救出活動は、のちに地下鉄道運動と呼ばれ、多くの逃亡奴隷を北部やカナダへと導いた。ブラウンは、言論や議会による改革が進まない現実に失望し、武力によってでも奴隷を解放すべきだという過激な信念を固めていく。

「流血のカンザス」と急進化

1850年代半ば、カンザスネブラスカ法によって新領土であるカンザスとネブラスカの奴隷制の可否が住民投票に委ねられると、自由州派と奴隷州派が殺到し、流血の内戦状態となった。いわゆる「流血のカンザス」である。この過程でブラウンは奴隷制擁護派に対する襲撃を行い、殺害にも関与したとされる。ここでの暴力体験は、奴隷制を維持しようとする勢力に対しては武力も正当化されるという彼の信念をいっそう強め、後のジョン=ブラウンの蜂起の土台となった。

ハーパーズ・フェリー襲撃の計画

ブラウンは、南部の山岳地帯に逃亡奴隷と支持者からなる拠点を築き、ゲリラ戦を通じて広範な奴隷解放戦争を起こす構想を抱いた。その第一歩として選んだ標的が、バージニア州ハーパーズ・フェリーの連邦兵器庫であった。兵器庫を占拠して大量の銃器を奪い、それを周辺の奴隷に配布して反乱を拡大させることが、彼の計画の核心であった。この計画には白人・黒人合わせて少数精鋭の同志が参加し、中にはかつての奴隷も含まれていた。

蜂起の展開と鎮圧

1859年10月16日夜、ブラウン一行はハーパーズ・フェリーに侵入し、鉄橋や兵器庫を制圧、近隣の地主を人質にとって立てこもった。しかし、期待されたように周辺の奴隷が大量に蜂起することはなかった。むしろ、地元民兵が素早く武装蜂起し、周辺を包囲したため、ブラウンらは町の一角に孤立することになった。事態はすぐ連邦政府に報告され、やがて将来南北戦争で活躍するロバート・E・リー中佐が海兵隊を率いて出動し、短時間の突入戦で蜂起は鎮圧された。

裁判とジョン=ブラウンの処刑

鎮圧の過程で多くの同志が死亡し、負傷したブラウンは捕らえられてバージニア州の裁判にかけられた。起訴内容は反逆罪、殺人、奴隷反乱の扇動などであり、陪審は短期間で有罪評決を下した。裁判の過程でブラウンは、自らの行動を聖書的正義に基づくものだと主張し、道徳的訴えを繰り返した。その姿は北部の奴隷制批判派に強い印象を与え、彼を「自由の殉教者」とみなす言説が広がった。1859年12月、ブラウンは絞首刑に処せられ、その最期は多くの新聞によって詳細に報じられた。

北部と南部の反応

南部の多くの人々にとって、ジョン=ブラウンの蜂起は北部が武力で奴隷制度を破壊しようとしているという疑念を一気に高める事件となった。共和党指導部の多くは表向きブラウンの暴力的手段を非難したが、南部では共和党全体が同じ陰謀に関わっているとの不信が広がった。他方、北部では、ブラウンの暴力には距離を置きつつも、その道徳的情熱に共感する知識人や聖職者が現れ、兵士たちの間では「John Brown’s Body」として知られる歌が広まり、彼を象徴的存在としてたたえた。

奴隷制論争と南北戦争への影響

1850年代のアメリカでは、逃亡奴隷法ドレッド=スコット判決などを通じて奴隷制擁護が強められ、一方で北部では奴隷制拡大に反対する勢力が結集しつつあった。こうした対立の激化の中で起こったジョン=ブラウンの蜂起は、もはや妥協的な制度調整では問題が解決できない段階に到達したことを示した出来事といえる。以前はミズーリ協定などの政治的妥協が成立していたが、この事件以後、南北の相互不信は決定的となり、アメリカ合衆国は分裂への道を早足で進むことになった。

歴史的意義

ジョン=ブラウンの蜂起の歴史的意義は、その軍事的規模の小ささにもかかわらず、象徴性の大きさにある。奴隷制廃止を求める運動が、議会内の妥協や漸進的改革から、必要であれば武装闘争も辞さない急進的段階へと移行しつつあったことを鮮明に示したからである。また、この事件は、南部の白人社会が抱く奴隷反乱への恐怖を刺激し、分離独立と武力対決こそが自らの制度を守る手段だと考える空気を強めた。こうしてブラウンの行動は、本人の意図とは別に、南北戦争開戦を早める一因となったと評価されている。