サラミスの海戦|古代ギリシアとアケメネス朝ペルシアの海戦

サラミスの海戦

サラミスの海戦は、紀元前480年に古代ギリシアとアケメネス朝ペルシアの間で繰り広げられた大規模な海戦である。第二次ペルシア戦争において両陣営が激突した場面の一つであり、結果的にギリシア側の連合艦隊が勝利を収めた。テルモピュライの戦いでスパルタ兵が奮闘しつつもペルシア軍に道を開けてしまった流れを挽回するかのように、この海戦はギリシア全体の命運を左右する決定的な転機となった。ペルシア軍は圧倒的な数の艦船を誇ったが、ギリシア側は海域特有の狭さを活かし、重厚な三段櫂船による巧みな戦術を展開した。結果としてペルシア艦隊は大きな打撃を受け、陸上戦における優位を失ったため、ギリシア世界への侵攻は大幅に減速したとされる。

背景

アケメネス朝ペルシアによるギリシア侵攻は、紀元前490年のマラトンの戦いに端を発する。敗北後もペルシア王クセルクセス1世は大軍を準備し、再度エーゲ海を越えて圧迫をかける構えを見せた。一方、アテナイやスパルタを中心としたポリス同盟は内輪の対立を抱えながらも、ペルシアの脅威に対抗すべく結束し始めた。海軍力の強化を図ったアテナイは銀山からの財源で多数の艦船を建造し、狭い海峡での決戦に活路を見いだそうとした。

戦いの経過

  • ギリシア艦隊はサラミス島周辺の狭い海域へ誘導する作戦を立てた
  • ペルシア側は数の優位を活かそうと進軍したが、船同士が混み合い機動性が低下した
  • ギリシア軍は三段櫂船による突撃や接舷戦術で敵艦を次々と破壊し、戦局を優勢に進めた

指導者と戦略

アテナイの将軍テミストクレスが立案した作戦は、海峡の地形を最大限に利用する点に特徴があった。ペルシア側の艦隊数は多かったが、それを広い海で迎え撃てば包囲されかねない。そこでギリシア艦隊をサラミス島付近の狭い海域に集結させ、ペルシア軍を内部へ誘い込むことで、大軍の利点を封じる狙いがあった。テミストクレスは敵陣営に偽情報を流し、傲慢なクセルクセス1世の判断を誘導するなど、心理戦も駆使してペルシア艦隊を追い込み、最終的には大打撃を与えるに至った。

ギリシア側の結束

ポリス同士の利害対立が絶えなかったギリシア世界であっても、ペルシアの圧力が強まる局面では協調路線が取りやすくなった。アテナイとスパルタはともに強力な軍事力を持っており、サラミス島周辺では海軍をアテナイ、陸軍をスパルタが補完関係で支え合う形をとった。これによりギリシア各ポリスは軍備の分担を効率化し、資源の不足を補いつつ一致団結して海戦を乗り切ることができた。

戦後への影響

このサラミスの海戦の勝利により、ペルシアはエーゲ海方面での攻勢維持が困難となり、ギリシア全域を短期間で制圧する計画は事実上頓挫した。さらに、翌年のプラタイアの戦いとミカレ岬の戦いに連なる形で、ギリシア側は陸海両面で主導権を握り、ペルシア軍の撤退や弱体化を促進した。この勝利を機に、アテナイをはじめとするポリス同盟がエーゲ海域の勢力圏を強化し、古代ギリシア文明の発展を後押ししたと考えられている。