サラトガの戦い|独立戦争の流れを変えた戦い

サラトガの戦い

サラトガの戦いは、1777年に北アメリカのニューヨーク州サラトガ近郊で行われたアメリカ独立戦争の決定的会戦である。イギリス軍将軍バーゴインの軍が大陸軍によって包囲・降伏に追い込まれたことで、植民地側の勝利が国際的に認められ、のちのフランスの参戦を引き出した点で、戦争全体の転換点と評価される。この勝利は、アメリカ独立宣言以後も不安定であった独立運動に確かな軍事的裏づけを与え、のちにアメリカ合衆国が成立していく重要な契機となった。

歴史的背景

アメリカ独立戦争初期には、レキシントンの戦いやボストン包囲戦など、東北部ニューイングランドを中心とする局地戦が続いていた。戦争が長期化するなかで、イギリス本国は13植民地を分断し、反英感情の強いニューイングランドと他地域を切り離す作戦を立てた。その一環として、カナダ方面からハドソン川流域へ南下するバーゴイン軍の進撃が計画されたのである。これに対し植民地側では、フィラデルフィアに集う大陸会議が抵抗を指導し、コモン=センスなどのパンフレットによって世論が独立支持へと傾いていた。

戦闘の経過

サラトガの戦いは、実際には2度の大会戦から成り立つ。1度目は1777年9月19日の「フリーマンズ・ファームの戦い」、2度目は10月7日の「ベミス・ハイツの戦い」である。アメリカ側の指揮官ゲイツの軍は、地形を活かした防御陣地を構築し、補給線の伸びきったバーゴイン軍を徐々に消耗させていった。とくに森や丘陵を利用した狙撃や、民兵を含む柔軟な部隊運用が功を奏し、イギリス軍は優勢な正規軍でありながら主導権を失っていった。

  • イギリス軍は補給不足と連絡の不備に苦しんだ。
  • 大陸軍は地の利を得て、塹壕線と砲兵を組み合わせて防御した。
  • 周辺の民兵が合流し、数的にもイギリス軍を上回るようになった。

指導者たちの役割

アメリカ側ではゲイツに加え、後に裏切り者として知られることになるベネディクト・アーノルドも攻勢の中心的役割を果たしたとされる。一方、イギリス軍のバーゴインは本国との連携不足に悩まされ、南方から支援に来るはずの別働隊と合流できなかった。こうした指揮・連絡面での差異が、サラトガの戦いの帰趨を決定づけた。

降伏と国際政治への影響

10月17日、完全に包囲されたバーゴイン軍は降伏し、多数の兵士と武器が大陸軍の手に渡った。この勝利は、植民地側が単なる反乱勢力ではなく、正規軍を相手に戦う独立国家の候補として十分な軍事力を持つことを示した。とくに宿敵イギリスを牽制したいフランス宮廷はこの結果に注目し、やがて正式な軍事同盟と援助を決定する。こうしてサラトガの戦いは、フランスの参戦を通じて戦争を大西洋世界全体の国際紛争へと拡大させたのである。

サラトガの戦いの歴史的意義

サラトガの戦いは、軍事的勝利であると同時に、外交・思想・制度にも深い影響を及ぼした。フランスなど欧州列強の支援を得たことで、独立運動は単なる植民地反乱から、王政と自由・共和政の対立という世界史的テーマへと発展した。その後、独立を承認された13植民地はアメリカ連合規約の下で緩やかな連合体制を築き、やがてより強固な連邦国家アメリカ合衆国へと移行していく。また、この戦争を指導したワシントンは、後に初代大統領となり、新国家の象徴的存在となった。星条旗やフィラデルフィアの独立記念館など、のちに形成される独立の記憶の多くは、サラトガの戦いを含む一連の勝利と強く結びついて理解されている。