サッコ=ヴァンゼッティ事件
サッコ=ヴァンゼッティ事件は、1920年代のアメリカ合衆国で起こったイタリア系移民ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの強盗殺人容疑と死刑判決をめぐる事件である。2人は急進的な無政府主義者として知られており、第一次世界大戦後の「赤の恐怖」による反共・反急進派感情、さらには移民差別が重なった結果、不公正な裁判の象徴として世界的な論争を引き起こした。のちに裁判の妥当性が強く疑問視され、人権と法の支配を考える上で重要な歴史的事件とされている。
事件の発生と逮捕
1920年4月、マサチューセッツ州サウス・ブレイントリーの靴工場で、給料運搬中の会計係と警備員が襲撃され、現金が奪われる強盗殺人事件が発生した。この事件の容疑者として、イタリアからの移民であるニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが逮捕された。2人は無政府主義(アナーキズム)を掲げる急進的活動家であり、当時の治安当局から監視の対象となっていた。彼らの所持品には拳銃が含まれていたことから、警察は強盗事件との関連を強く疑い、正式に起訴するに至った。
アメリカ社会の背景
サッコ=ヴァンゼッティ事件の背景には、第一次世界大戦後の社会不安と「赤の恐怖」と呼ばれる反共産主義的風潮がある。ロシアではロシア革命と内戦を経てボリシェヴィキ政権が成立し、世界各地で社会主義や共産主義運動が高揚した。これに対し、アメリカ国内ではストライキや爆弾事件が相次ぎ、治安当局は急進派や移民を「危険分子」とみなすようになった。とくに南欧・東欧からの新移民は、既存の白人プロテスタント社会から文化的・宗教的に異質と受け止められ、差別と偏見の対象となっていた。
裁判の経過と問題点
サッコとヴァンゼッティの裁判は1921年に始まり、検察は弾道検査や証言をもとに有罪を主張した。しかし弁護側は、物証の信頼性や証言の矛盾を指摘し、2人が事件当時それぞれ別の場所にいたとするアリバイを提示した。にもかかわらず、陪審は有罪評決を下し、2人には死刑判決が言い渡された。後に明らかになったところによれば、裁判長は被告人たちを「アナーキスト」として侮蔑する発言を行い、移民や急進派に対する偏見が裁判の運営に影響したとされる。このため、裁判の公正さは当時から強く疑問視された。
世界的な抗議運動
サッコ=ヴァンゼッティ事件は、判決後に国際的な注目を集めた。アメリカ国内では労働組合や労働運動の活動家、知識人が中心となり、再審請求や恩赦を求める運動が展開された。国外でも、ヨーロッパやラテンアメリカ、さらには資本主義と急進運動の対立が顕在化していた各地域で、2人の無罪を訴える集会やデモが行われた。多くの市民は、2人が有罪とされたのは証拠そのものではなく、イタリア系移民であり急進的政治思想を持っていたという身分ゆえであると考え、法廷の中立性に疑念を抱いたのである。
死刑執行とその反響
度重なる再審要求や嘆願にもかかわらず、マサチューセッツ州当局は方針を変更せず、1927年8月、サッコとヴァンゼッティの死刑が執行された。この執行は国内外に大きな衝撃を与え、アメリカにおける民主主義と司法制度への信頼を揺るがす出来事となった。多くの人びとは、判決の背後にある反移民感情や反急進派の空気を批判し、権力による不公正な裁きの象徴として事件を記憶するようになった。文学や演劇、映画などの大衆文化においても、この事件はしばしば題材とされ、政治的抑圧と人権侵害を告発する物語として描かれた。
後年の再評価と歴史的意義
その後も裁判記録や証拠の再検討が続けられ、2人の有罪・無罪をめぐる議論は長く続いた。1970年代には、マサチューセッツ州知事が公式声明で当時の裁判が公正とは言えなかったことを認め、法手続きの欠陥と先入観を事実上謝罪した。これによりサッコ=ヴァンゼッティ事件は、単なる刑事事件ではなく、移民差別、急進派弾圧、そして戦後の「赤の恐怖」が生み出した政治的裁判として位置づけられるようになった。事件は、自由と平等を掲げるアメリカ合衆国においても、社会的不安やイデオロギー対立の中で司法が中立性を失い得ることを示す歴史的教訓であり、資本主義社会における国家権力と個人の権利の緊張関係を考察する際の重要な事例である。
第一次世界大戦後の世界情勢との関連
第一次世界大戦後、世界各地で政治秩序が動揺し、多くの国で社会主義や共産主義勢力が台頭した。これに対抗するかたちで、保守勢力は反急進派を掲げ、治安維持を名目に弾圧を強化した。サッコ=ヴァンゼッティ事件は、そのような国際的文脈の中で、移民と急進派に対する恐怖と偏見が結びつき、司法判断に影響を与えた例として理解される。事件を通じて、戦後世界における民主主義の脆さと、思想や出自の違いをめぐる対立がいかに人権侵害へとつながりうるかが浮き彫りになるのである。