クロンプトン
サミュエル・クロンプトンは、18世紀イギリスの発明家であり、綿糸紡績機「spinning mule(スピニング・ミュール)」を考案した人物である。この発明は、ジェニー紡績機とアークライトの水力紡績機の長所を組み合わせ、綿工業を飛躍的に発展させた。とりわけ細く強い糸を大量に紡ぐことを可能にし、産業革命期のイギリスが世界の「工場」と呼ばれる基盤を築いた点で重要である。しかしクロンプトン自身は特許取得に失敗し、十分な利益を得られなかったことでも知られる。
生涯と背景
クロンプトンは1753年、イングランド北西部ランカシャー地方に生まれた。織物業が盛んな地域で育ち、若いころから家内工業の綿紡績に従事したとされる。当時のイギリスでは、飛び杼の普及によって織布速度が増した一方、糸の供給が追いつかず、糸不足が深刻な問題となっていた。この状況が、新しい紡績機への需要を高め、クロンプトンの発明意欲をかき立てた背景である。彼が活動した地域はのちにマンチェスターを中心とする綿工業地帯として発展し、家内工業から工場制への転換が進んでいった。
スピニング・ミュールの発明
18世紀半ば、ハーグリーヴズのジェニー紡績機は、多錘紡績により生産量を増加させたが、糸は比較的弱く粗いという欠点があった。一方、アークライトの水力紡績機は強い糸を紡げるものの、主に太めの糸に適していた。これら既存の機械の限界を克服するため、クロンプトンは両者の長所を組み合わせることを構想した。1779年ごろ完成したspinning muleは、横に動く台車(キャリッジ)に多数のスピンドルを備え、粗糸を引き伸ばしながら細く均一な糸に仕上げる仕組みであった。これにより、高級綿布やミュスリンに適した細番手の糸を大量に生産することが可能になり、世界市場でのイギリス綿糸の競争力を大きく高めた。
スピニング・ミュールの技術的特徴
- 多くのスピンドルを同時に動かし、大量生産を可能にした点
- キャリッジの往復運動によって粗糸を段階的に引き伸ばし、細く均質な糸を作り出した点
- 糸の巻き取り工程も機械的に制御し、品質の安定と熟練度への依存度を下げた点
これらの特徴により、spinning muleは家内工業レベルを超えた本格的な機械紡績を実現し、クロンプトンの名を歴史に残すことになった。
綿工業と産業革命への影響
クロンプトンのspinning muleは、イギリスの木綿工業に決定的な転機をもたらした。細く強い糸の大量供給は、織布業者にとって高品質な綿布生産を可能にし、輸出向け製品の拡大につながった。とくにマンチェスターやランカシャー一帯では、spinning muleを備えた工場が林立し、かつての家内工業中心の紡績は急速に工場制機械工業へと移行した。こうした変化は産業革命の中核分野である綿工業の構造を変え、都市化、労働者階級の形成、国際貿易の拡大など、社会全体の変動を促した。また、機械動力の効率的利用や工程管理の発展は、他産業にも波及し、機械の発明と交通機関の改良と相まってイギリスの工業力を押し上げた。
特許と経済的困難
しかし、クロンプトン自身はその発明から十分な利益を得られなかった。彼は資金難のため特許取得を断念し、代わりにspinning muleの仕組みを製造業者たちに「披露」し、出資を募る方法を選んだ。ところが、多くの業者は約束した対価を支払わず、機械だけを模倣して採用したため、クロンプトンのもとに残ったのはわずかな報酬にすぎなかった。その後、彼の貢献が知られるようになると、議会から年金が与えられたものの、生活を大きく変えるほどの額ではなく、彼は生涯を通じて経済的に恵まれなかったと伝えられる。この点は、アークライトなど特許と企業経営で成功した発明家との対照としてしばしば指摘される。
評価と歴史的意義
クロンプトンの名は、長らく華々しい企業家ではなく、報われなかった技術者として語られてきた。それでも歴史的にみれば、彼のspinning muleは、ジョン=ケイの飛び杼、ハーグリーヴズのジェニー紡績機、アークライトの水力紡績機と並び、18世紀イギリスにおける機械紡績発展の最重要段階をなすものである。彼の発明は、家内工業から工場制機械工業への橋渡しを行い、綿糸生産の量と質を同時に高めることで、世界市場におけるイギリス製綿布の圧倒的優位を支えた。こうした点から、クロンプトンは、名声や財産には恵まれなかったものの、産業革命の進展に不可欠な技術的基盤を築いた発明家として高く評価されている。