カートライト
カートライトは、18世紀後半の産業革命期のイギリスで活動した聖職者にして発明家であり、力織機と呼ばれる機械式織機を考案した人物である。紡績工程が急速に機械化されていくなかで、織布部門の生産性を飛躍的に高めたこの発明は、綿布生産のボトルネックを解消し、工場制機械工業の成立を後押しした。カートライト自身は実業家として大成功したわけではないが、その力織機はのちの改良を通じて広く普及し、近代的な綿織物業の出発点として高く評価されている。
生涯と社会的背景
カートライトの本名はEdmund Cartwrightで、1740年代にイングランドの地方紳士の家に生まれたとされる。若くして大学で教育を受け、英国国教会の聖職者となったため、もともとは技術者や職人ではなく、古典教育を受けた知識人であった。18世紀後半のイングランドでは、綿糸生産が機械化によって急速に伸びる一方、手織りに頼る織布業はそれに追いつけず、糸は余るが布が不足するという構造的な問題が生じていた。このギャップを埋める新しい織機への需要が、聖職者であったカートライトをして技術的挑戦へと向かわせた背景である。
力織機の発明と仕組み
カートライトは1780年代半ばに機械式の織機について構想を練り、1785年前後に力織機の特許を取得したとされる。この力織機は、人力ではなく水車やのちには蒸気機関など外部動力によって杼の往復や綜絖の上下運動を自動的に行わせる点に特徴があった。従来の手織機では熟練した織工が体全体を使って操作していたが、カートライトの力織機では動力源と連動したリンク機構やカム機構を用いることで、織布の一連の動きを規則的・反復的に行うことが可能となったのである。
綿工業と先行発明との関係
カートライトの力織機は、すでに紡績部門で広まっていた諸発明と密接に結びついていた。綿糸の大量生産を可能にした綿工業の発展は、紡績工程における技術革新、たとえばジョン=ケイのジェニー紡績機以前に飛び杼を用いた織布の高速化、さらにアークライトによる水力紡績機の導入などによって支えられていた。こうした先行する紡績機械によって糸が大量に供給されるようになると、それを布へと織り上げる工程が遅れがちな「詰まり」となった。カートライトの力織機は、このボトルネックを解消し、木綿工業全体の生産力を押し上げる役割を担ったのである。
工場制機械工業への移行と課題
カートライト自身は、自らの力織機を用いた工場経営を試みたが、初期の機械は故障が多く効率も十分ではなく、事業としては必ずしも成功しなかったとされる。しかし、力織機という発想そのものは工場制機械工業の方向性を示すものであり、その後の技術者たちが改良を重ねることで、より実用的で高速な力織機が19世紀に入ってから普及していった。こうして一つの建物に多数の力織機を並べ、動力源とベルトでつなぐ近代的な織布工場が成立し、労働者は家内工業ではなく工場に集められて働くようになった。カートライトの試みは、不完全ながらも工場制への転換点を象徴するものといえる。
労働者への影響と社会的反応
カートライトの力織機は、生産性の向上をもたらす一方で、従来の手織り職人にとっては職を脅かす存在でもあった。家内工業として布を織っていた織工たちは、工場で機械を操作する低賃金労働者へと再編されるか、仕事を失う危険に直面した。そのため、力織機をはじめとする機械の導入は、しばしば破壊運動や暴動を伴う激しい抵抗を引き起こしたと伝えられる。カートライトの発明は、単に技術史における一里塚であるだけでなく、産業社会への移行にともなう階級関係や労働条件の変化を象徴する出来事でもあった。
歴史的評価と意義
のちの研究者たちは、カートライトの力織機が初期には多くの欠点を抱え、改良型が普及するまでには時間を要した点を指摘している。それでもなお、織布工程を外部動力によって機械化するという構想は決定的であり、19世紀にかけての力織機普及の出発点として高い評価を受けている。紡績機の改良と並び、織布技術の機械化は機械の発明と交通機関の改良という広い文脈の一部をなしており、綿布を大量かつ安価に供給する体制の確立を通じて世界市場の形成にも寄与した。こうした観点から、カートライトは、必ずしも名声ある実業家ではなかったものの、近代産業社会の成立に不可欠な技術的転換点を切り開いた人物として、世界史の中に位置づけられている。