オーバーサンプリング
オーバーサンプリングとは、信号帯域幅に対して必要最小限のナイキスト周波数を大きく上回るサンプリング周波数で標本化し、量子化雑音の帯域密度を低下させつつ、後段のデジタル処理(平均化・フィルタリング・デシメーション)で所望帯域の雑音を抑圧する手法である。これにより、アナログ領域の急峻なアンチエイリアシングフィルタを緩やかな特性に置き換えられ、実効分解能やダイナミックレンジが改善される。特に音響用や計測用のADC、通信受信機、センサ読み出しなどで広く用いられる技術である。関連する基礎概念としてサンプリング定理やナイキスト周波数が挙げられる。
基本原理とOSR
理想的な量子化雑音が白色でナイキスト帯域に一様分布すると仮定すると、サンプリング周波数を高くするほど単位帯域当たりの雑音密度は下がる。帯域内雑音電力はOSR(Oversampling Ratio)= fs/(2B) に反比例し、OSR倍のオーバーサンプリングによるSNR向上量はおおよそ 10log10(OSR)[dB]、実効ビット数ENOBの増加は約 0.5log2(OSR)[bit] で近似できる。最終的にはデジタルのデシメーションで所望サンプルレートへ落とす。
アナログ設計の簡素化
オーバーサンプリングによりアナログ側のアンチエイリアシングフィルタを緩やかな遮断特性にでき、部品ばらつきへの感度や群遅延の乱れを抑えられる。遅延の周波数依存性は位相直線性に関わるため、音響や計測系では有利である。群遅延の観点は群遅延、位相特性の観点は直線位相を参照のこと。
デジタル処理とデシメーション
高fsで取り込んだデータはデジタル低域通過フィルタ(FIRの半帯域、polyphase構成、CICなど)で帯域外を抑圧し、整数比でダウンサンプリング(デシメーション)する。CICは乗算器不要で大きな低減比に向くが通過帯リップルが大きいので、半帯域FIRで等化する構成が実務的である。固定小数点DSPやFPGAではスケーリングと飽和処理、ビット幅計画が性能と資源に直結する。
ΔΣ変調とノイズシェーピング
ΔΣ(デルタシグマ)変調器は、オーバーサンプリングと帰還ループにより量子化雑音を高周波側へ「押し出す」ノイズシェーピングを行う。一次ノイズシェーピングではOSRを2倍にすると約9 dB(約1.5 bit)SNRが向上し、二次では約15 dB(約2.5 bit)向上する。以後のデシメーションで帯域内だけを残せば高いENOBが得られる。アナログ前段を厳密に詰めるより、デジタル処理資源で性能を稼ぐ近代的な設計哲学である。
SNR向上の近似式
ノイズシェーピングなし:SNR ≈ SNR0 + 10log10(OSR)。ENOB ≈ ENOB0 + 0.5log2(OSR)。p次ノイズシェーピング:帯域内雑音はOSR^{-(2p+1)}に比例し、2倍化ごとのSNR向上は概ね(6p+3) dB(p=1で約9 dB、p=2で約15 dB)である。設計初期の目安として有用である。
クロックジッタの影響
サンプルタイミングの揺らぎ(ジッタ)は高周波入力でSNRを低下させ、近似的にSNR_jitter ≈ -20log10(2π f_in σ_t) で見積もれる。ΔΣでは量子化雑音は整形できてもジッタ雑音は整形できないため、基準クロック、PLL、電源・グラウンド設計が支配的になる。詳細はジッタ、多チャネル同期ではスキューも参照されたい。
設計手順の実務ポイント
- 目標帯域Bと許容雑音から必要ENOBを逆算し、OSRと変調次数(ΔΣ採用時)を選定する。
- アナログ前段はS/H帯域・入力フルスケール・ノイズ密度・THDを確認し、緩やかなLPFで折返しを緩和する。
- デシメーション鎖はCIC→補償FIR→半帯域FIRの段階設計で係数長と遅延を最小化する。
- 固定小数点ではガードビット確保、スケーリング、丸め方式(RNE等)を明示する。
- クロックツリーと基準クロックの位相雑音、電源インピーダンスを事前に見積もる。
利点とトレードオフ
- 利点:帯域内雑音低減によるSNR/ENOB向上、アナログフィルタの緩和、プロセスばらつき耐性の向上、平均化によるオフセット・ドリフト抑制。
- 欠点:データレートと演算量の増加、消費電力とレイテンシの増大、ジッタ感度の顕在化、依然として最低限のアンチエイリアシングは必要。
応用例
音響ADCや計測用ΔΣADC、精密重量計、温度・圧力・慣性センサの低帯域計測、通信IFの中間周波数処理、電源やモータ制御の電流観測などで用いられる。帯域が狭いほどOSRを稼ぎやすく、コスト効率に優れる。時間領域の揺らぎ評価や位相の整合性が重要な系では、直線位相や群遅延の管理も並行して行うとよい。
関連項目
基礎理論はサンプリング定理、周波数上限はナイキスト周波数、時間ゆらぎはジッタ、多チャネル整合はスキューに詳しい。これらはオーバーサンプリング設計の評価軸と直結している。