エヴァンズ|クノッソス宮殿の発掘でミノア文明を世に知らしめた考古学者

エヴァンズ

エヴァンズ(Sir Arthur John Evans、1851年~1941年)は、イギリスの考古学者であり、クレタ島のクノッソス宮殿を中心にミノア文明の実態を明らかにした第一人者である。エーゲ海における青銅器時代の高度な文化は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて断片的に知られつつあったが、エヴァンズの発掘と研究によってその輪郭が大きく変化した。彼はシュリーマンがトロイアやミケーネで見せた情熱を引き継ぎながら、より科学的な手法を導入し、線文字Aの発見やクノッソスの宮殿構造の解明を通じて「ミノア」という名称の普及を促した。こうして青銅器時代のギリシア本土に先行するクレタ島の独自文化が世界的に認知され、エーゲ文明史研究を一気に躍進させる原動力となった。

生い立ちと初期の活動

エヴァンズはイングランドの名門家系に生まれ、オックスフォード大学などで古典学や考古学を学んだ。若いころからバルカン半島や地中海世界を遍歴し、ナショナリズムや古代史に強い関心を抱いたという。ジャーナリストとしても活動し、後にオックスフォード大学アシュモレアン博物館の館長に就任。その際に培った資金力や学術的人脈を活用して、クレタ島発掘計画を本格化させる下地を築いた。

クノッソス宮殿の発掘

クレタ島のクノッソス遺跡は、古くから「迷宮伝説」の舞台とされ、宮殿の存在が取り沙汰されていた。20世紀初頭、オスマン帝国から自治を獲得しつつあったクレタ島当局の許可を得て、エヴァンズは1900年から大規模な発掘を開始する。彼は都市的な宮殿群を発見し、多彩な彩色壁画や複雑な建築区画、さらには文字が刻まれた粘土板(線文字A、線文字B)を数多く発掘した。これらの成果は「ミノア文明」という概念を確立し、ギリシア神話に登場するミノタウロス伝説との関連を人々に想起させる大きなきっかけとなった。

ミノア文明の命名と特徴

エヴァンズは、クレタ島で発見された先史時代の青銅器文化をミノア文明と命名した。これはギリシア神話におけるクレタの王ミノスに因んだものである。彼は宮殿の壁画や陶器の意匠、さらには書記体系に着目し、芸術性や建築技術が当時の本土ギリシアをはるかに上回る水準に達していた点を強調した。また、防壁の少ない宮殿や海洋モチーフの壁画などから、クノッソスを中心とする海洋国家としての平和的な社会イメージを提起した。ただし、現在の研究では必ずしも「平和一色」だったわけではないとする見解もあり、エヴァンズの理想化は議論を呼び続けている。

線文字の発見

  • 線文字A:未解読の古い文字で、ミノア文明の言語特性を示す
  • 線文字B:一部ギリシア語として解読され、本土ミケーネ文明との接点を明らかに
  • これらの粘土板出土は紀元前2千年紀のエーゲ文明史を立体的に描く資料となった

再建と修復

クノッソスの遺構発掘後、エヴァンズは一部の建物や壁画を大胆に復元・修復し、一般公開を行った。しかし現在の視点から見ると、この修復作業は彼独自の想像やコンクリートの使用など、当時の学界基準としても極端な手法が多く、オリジナルの遺構を損ねる結果を招いた部分がある。そのため「エヴァンズの再建」は歴史的遺産の保存という点で批判の的となることも多いが、一方で観光客にとってはクノッソス宮殿の全体像を体感できるメリットがあり、遺跡の知名度向上には大いに貢献したとも言える。

晩年と評価

強力な資金力と学術的情熱をもってクレタ島に挑んだエヴァンズは、その後数十年にわたりクノッソスおよび周辺遺跡の発掘と研究を継続。1941年に死去するまでミノア文明の普及と研究推進に尽力した。彼の手法は「想像の加味」や「過剰な修復」などで学術的批判も多く受けたが、エーゲ文明の存在を近代考古学にもたらした功績は絶大である。線文字Aの謎やミノア社会の具体像は現在も研究テーマとなっており、エヴァンズが開いた道はさらに新たな研究手法と発見で広がり続けている。

影響と遺産

エヴァンズが残した最大の遺産は、クレタ島の先史文明がギリシア本土の青銅器時代を先導する形で存在していたという「ミノア中心論」を強烈に印象づけたことであろう。これは後にミケーネ文明やキクラデス文明との比較研究を活性化させ、エーゲ文明全体の時間軸を精査する大きな原動力となった。また、近代的な考古学が成立しつつあった時期に、壮大な遺跡に対して大胆な発掘と復元を実行した姿勢は功罪両面を抱えつつも、多くの後進研究者に発想の自由度とスケールの大きさを示したという意味で、今なお歴史に残る存在である。