エスパニョーラ島|カリブ海植民の拠点となった島

エスパニョーラ島

エスパニョーラ島は、カリブ海に位置し、現在のハイチ共和国とドミニカ共和国が同居する大きな島である。1492年にコロンブスが到達して以降、スペイン帝国の拠点として西インド諸島支配の中心となり、その後のアメリカ大陸征服と植民地支配の出発点となった。

地理的位置と自然環境

エスパニョーラ島はキューバの南東、ジャマイカとプエルトリコの間に位置し、カリブ海でも有数の大きさを持つ島である。山地と肥沃な平野が共存し、熱帯気候と豊かな降水により、サトウキビやタバコなどのプランテーション作物に適した環境が形成された。

タイノ社会とスペイン人到来以前

コロンブス到来以前、島にはタイノと呼ばれるアラワク系の先住民が居住し、焼畑農業や漁労、交易を営んでいた。村落共同体を基盤とする社会であり、長が支配する小王国が複数存在し、後のマサチューセッツなど英領植民地社会とは異なる文化世界を形成していた。

コロンブスの到達とスペイン植民地化

1492年にコロンブスが初航海でエスパニョーラ島に到達し、最初の拠点ラ・ナビダを築いた。やがてサントドミンゴが建設され、島はスペイン帝国の西インド総督府の中心都市として、アステカ王国の滅亡インカ帝国の滅亡など中南米征服の軍事・行政基地となった。

エンコミエンダ制と先住民の崩壊

スペイン人はエンコミエンダ制の下で先住民に鉱山労働や農作業を課し、疫病と過酷な労働によりタイノ人口は急激に減少した。労働力不足を補うためアフリカから奴隷が導入され、後の大西洋奴隷貿易の原型がエスパニョーラ島で早くから現れた。

砂糖プランテーション経済の展開

肥沃な平野と温暖な気候を背景にサトウキビ栽培が拡大し、砂糖プランテーションが島の主要産業となった。奴隷労働に依存するこの生産構造は、英領植民地での年季奉公人制度とは性格を異にしつつも、大西洋世界の経済統合を促進した。

島の分割とサン・ドマングの形成

17世紀以降、西部地域にはフランス勢力が浸透し、やがてフランス領サン・ドマング(後のハイチ)が成立した。スペイン領とフランス領に分割されたエスパニョーラ島は、ヨーロッパ列強間の競争と海賊・私掠船活動の舞台ともなり、北米のペンシルヴェニアプリマスと異なる多国間支配の構図を示した。

ハイチ革命と独立の衝撃

18世紀末、フランス革命の影響を受けたサン・ドマングで奴隷反乱が勃発し、ハイチ革命へと発展した。1804年のハイチ独立は、奴隷制に依拠した植民地秩序を揺るがし、英領植民地の植民地議会ベーコンの反乱など政治運動とは性格を異にする「奴隷による革命」という新たな局面を開いた。

英領植民地との比較と位置づけ

エスパニョーラ島の歴史は、清教徒移民ピルグリムファーザーズメイフラワー号で移住したマサチューセッツや、クウェーカー教徒が建設したクウェーカーの植民地ペンシルヴェニアなどとは異なる道筋をたどった。スペイン・フランスによる軍事拠点兼プランテーション島としての性格が強く、宗教的自由や自治議会の発達よりも、帝国支配と奴隷制経済の象徴として世界史上の位置を占めている。