インド=パキスタン戦争
インド亜大陸の近現代史においてインド=パキスタン戦争とは、1947年の分割独立以後、主としてカシミール帰属をめぐってインドとパキスタンが断続的に武力衝突した一連の戦争・紛争を指す総称である。国家建設の正統性、宗教共同体の境界、国境線の確定という問題が絡み、戦争は外交・軍事のみならず国内政治や社会統合のあり方にも長い影を落としてきた。
成立の背景
背景には英領インドの解体と、分割独立に伴う国家形成の急進性がある。ヒンドゥー多数のインド連邦と、ムスリム多数のパキスタン(当初は東西に分離した領域)に分かれる過程で、住民移動と暴力が広域に発生し、新国家は安全保障と国境管理を最優先課題として出発した。とりわけ藩王国が存在した地域では帰属決定が不透明になり、領土の線引きが未確定のまま対立が固定化した。
カシミール問題と第1次戦争
最大の焦点はカシミール問題である。住民はムスリムが多数であった一方、統治者がどちらへ帰属するかの判断を先送りし、武装集団の侵入と介入を招いた。1947年から1948年にかけての第1次戦争は、停戦合意によって前線が線として固定され、以後の対立の基礎となった。ここで形成された実効支配の境界は、和平交渉の場でも常に争点として残り続けた。
停戦ラインと実効支配
停戦後の境界線は国際的に最終国境として確定したわけではなく、政治的主張と軍事的現実のあいだにずれを抱えたまま運用されることになった。このため小規模な越境、砲撃、部隊の展開が「戦争と平時の中間」に位置づけられ、緊張の管理が恒常的課題となった。
第2次戦争と総力化
1965年の第2次戦争は、局地的な作戦と相互介入が拡大し、全面戦争へ移行した点に特徴がある。戦線はカシミール周辺に限られず、国境沿いの都市や補給線が攻撃対象となり、空軍・機甲部隊を含む近代的な戦力が投入された。停戦は成立したものの、領土問題の核心が解消しないまま、敵対認識だけが深化した。
1971年戦争と地域秩序の転換
1971年の戦争はカシミールよりも、東パキスタンの政治危機と難民流入を契機として発生した。インド軍の介入は短期間で決定的な結果をもたらし、東パキスタンは独立してバングラデシュとなった。この帰結は南アジアの勢力均衡を変え、両国の安全保障観を「国家の存続」へ強く結びつけた。
核抑止と限定戦争の発想
両国が核兵器を保有・実験する段階に入ると、全面戦争のコストは跳ね上がり、抑止と危機管理が中心課題となった。1999年のカルギル紛争では、実効支配線付近での高地戦が国際的注目を集め、紛争の「限定化」と外交圧力の作用が可視化された。核時代のインド=パキスタン戦争は、短期の軍事行動と長期の政治目的が複雑に交錯する。
国際政治の関与
印パ対立は冷戦期の同盟構造や武器供与とも結びついた。両国はそれぞれ大国との関係を通じて軍備を近代化しつつ、同時に対外関係の変化に影響されやすい立場に置かれた。外交的には非同盟運動など第三世界の潮流も意識され、停戦や仲介には国際連合が関与する局面もあった。地域紛争でありながら国際秩序の一部として扱われてきた点に特徴がある。
国内政治と社会への影響
戦争は国内統合の装置として動員される一方、宗教共同体の緊張を刺激し、治安政策や言論空間にも影響を及ぼした。軍事予算の増大、国境地帯の開発と統制、難民・避難民の発生は、国家の制度設計を長期的に方向づけた。さらにカシミールでは住民のアイデンティティと統治の正当性が衝突し、紛争は単なる国境問題を超えた性格を帯びる。
史的意義
南アジアにおけるインド=パキスタン戦争は、分割独立が残した未解決の境界をめぐる争いであると同時に、国家形成と安全保障の論理が相互に強化される過程でもあった。停戦線の固定、1971年の国家再編、核抑止下の危機管理という経験は、両国の外交選好と軍事ドクトリンを規定し、周辺諸国や地域経済にも波及する構造的要因として位置づけられる。