イリジウム(Ir)
イリジウム(Ir)は原子番号77の遷移金属で、白金族金属(PGM)に属する極めて希少な元素である。常温で銀白色の金属光沢を示し、金属中でも最上位の密度と卓越した耐食性、高い融点と硬さを併せ持つ。実用面では高温用るつぼや電極、硬質合金の強化、化学・自動車分野の触媒、さらに精密計測に関わる合金材料として用いられ、資源的にはニッケル・銅精錬の副産物として回収されることが多い。
原子特性と結晶構造
イリジウムの原子量はおよそ192.22、電子配置は[Xe]4f14 5d7 6s2である。結晶構造は面心立方(FCC)で、高密度・高剛性とすべり系の多さに由来する特有の変形応答を示す。20℃で密度は約22.56 g/cm3と非常に高く、電気抵抗率はおよそ5.3 μΩ・cmで導電性も良好である。熱伝導率は概ね150 W/m・Kで、熱衝撃には比較的強いが、急激な温度勾配がある用途では設計上の配慮が求められる。
物理的・機械的性質
融点は約2446℃、沸点は約4430℃で高温安定性に優れる。モース硬度はおよそ6.5で、耐摩耗性が高い。ヤング率は約530 GPa、ポアソン比はおよそ0.26、線膨張係数は6.4×10^-6/K程度とされ、高温下でも寸法安定性が高い。一方で加工硬化しやすく、常温での延性は限定的であるため、熱間加工や粉末冶金による成形・焼結、精密研削・放電加工などの適用が一般的である。
化学的性質と耐食性
イリジウムは王水を含む多くの酸に対して極めて不活性で、酸化雰囲気の高温下でIrO2を生成するほかは腐食しにくい。塩化物・シアン化物などの溶融塩、あるいは強塩基性の融体中では徐々に侵される場合がある。代表的な酸化数は+3、+4、+6であり、Ir(III)/Ir(IV)系は触媒化学や電極材料として重要である。高い標準電位を背景にガルバニック腐食では貴側に位置し、他材との接触対策が必要となる。
資源・製錬と供給
地殻存在度は極めて低く、主に南アフリカの層状貫入岩体やロシア、カナダの硫化物鉱床で、白金族金属の混合状態として産する。実用供給はNi・Cu製錬の副産物回収に依存し、溶媒抽出・イオン交換・沈殿分離などを段階的に組み合わせて精製する。二次資源として自動車触媒・電子部品・合金スクラップからのリサイクルも重要で、供給リスクを低減する観点から回収プロセスの高効率化が進む。
合金設計と加工上の要点
Pt–Ir合金は耐摩耗性・強度・耐食性に優れ、計測基準器や精密機械部品、医療機器に採用される。RhやRuとの組み合わせは高温強度と酸化耐性を補強する。溶接はレーザー・電子ビームが適し、拡散接合も検討される。被削性は低いため低送り・高剛性系の工具設定と適切なクーラント管理が必要である。薄膜・コーティングではPVDやスパッタ、化学気相成長(CVD)により高密着・高硬度の皮膜形成が可能である。
主要用途
- 高温材料:サファイア・酸化物単結晶育成用るつぼ、熱電対保護管
- 電極・配線:化学プラントの陽極、海水環境の耐食電極、スリップリング
- 自動車:スパークプラグ先端チップ(微小摩耗・高温耐久)
- 計測・精密:Pt–Ir合金による基準器、耐摩耗軸受や摺動部品
- 触媒:水素化・脱水素・C–H活性化反応、排ガス・燃料電池関連
- 表面改質:高温酸化環境でのバリアコーティング、電解用被覆(IrO2系)
- 理化学機器:X線・電子線環境での微小電極、耐食配線・薄膜
触媒化学における役割
均一系ではIr–NHCやホスフィン錯体が水素化、異性化、C–Hボリル化などで高選択性を発揮する。Crabtree触媒に代表されるオレフィン水素化は穏和条件で高活性を示す。不均一系ではIr/酸化物担持触媒が脱水素や改質反応に用いられる。電気化学ではIrO2が酸素発生反応(OER)の代表的な陽極触媒で、酸性水電解における耐久性の観点から基幹材料の一つである。
放射性同位体と計測応用
安定同位体は191Irと193Irで、放射性の192Irは強いγ線源として非破壊検査(工業ラジオグラフィ)や医療の近接照射治療に用いられる。192Irの取り扱いには厳格な遮蔽・線量管理が不可欠で、回収・保管・廃棄までの規制遵守が必須である。材料評価ではIr薄膜やナノ粒子が高線量環境下でも信頼性を維持しやすい点が評価される。
分析・評価方法
組成・不純物はICP-MSやGD-MSで定量し、酸化状態や表面化学はXPSで解析する。結晶相はXRD、集合組織はEBSD、硬さはビッカース・ナノインデンテーションで評価する。電気特性は四端子法で抵抗率を、高温特性はTGA/DSCで挙動を把握する。皮膜の密着性はスクラッチ試験、耐食性は塩水噴霧や電位規制試験により定量化できる。
工学設計上の留意点
高コスト・低供給弾力性を前提に、必要部位への局所適用や薄膜化で材料使用量を最適化する。異種金属接触ではイリジウムが貴側となるため、電解環境や湿食環境でのガルバニック対策(絶縁・封止・電位管理)が重要である。熱応力を抑えるため下地との熱膨張整合を図り、急冷・急加熱は避ける。粉末冶金体では気孔率管理と拡散接合による緻密化が性能安定に寄与する。
関連する白金族金属との位置づけ
白金族の中で、イリジウムは耐食性・高温強度・硬さのバランスが特に高い位置にある。化学的安定性はPtと同等以上で、高温酸化でIrO2を形成しても実用耐久性を維持しやすい。一方で加工難易度と資源希少性がボトルネックとなるため、合金設計や表面工学による機能の付与・代替・補完が運用の鍵となる。