イタリア政策
イタリア政策とは、中世ドイツ君主・皇帝がロンバルディアとローマをめぐって展開した対伊戦略・教皇政策・都市支配の総体である。目的はローマでの帝冠獲得と、ポー平原やアルプス交通の掌握による権威・財政の強化にあった。カロリング朝の分裂後、北イタリアは「イタリア王国」として独自の力学を保ち、ドイツ王がアルプスを越えて軍事・婚姻・法的特権を駆使して介入した。とりわけオットー朝とシュタウフェン家は教皇庁との連携・対立を織り交ぜながら帝権の普遍性を主張し、都市コムーネの自治と鋭く競合した。最終的にこの政策は、ローマ帝国観念の維持と引き換えに、ドイツ本土の長期不在や諸侯台頭という副作用をもたらした。
背景と目的
フランク王国の再編後、ヴェルダンとメルセンの分割で中部・イタリアの継承問題が先鋭化した。北イタリアは富裕な都市経済と王権伝統を併せ持ち、そこに介入してローマで帝冠を得ることは、ドイツ王にとって権威の源泉であった。すなわちイタリア政策の核心は、帝冠=普遍君主の象徴、ポー平原の税収・通商路、教皇庁との保護・監督関係という三点にあった。ここで生まれた「イタリア王国(Regnum Italicum)」の統御は、後の神聖ローマ帝国秩序の重要な柱となる。分割の前提にはヴェルダン条約とメルセン条約、担い手には東フランク王権があった。
ザクセン朝と帝冠獲得
ザクセン朝はドイツ本土の安定化を経てアルプス越えを本格化させた。とりわけハインリヒ1世が築いた基盤の上に、オットー1世は951年の初遠征、皇后アーデルハイトとの婚姻、961–962年の再遠征を通じてローマに入り、教皇ヨハネス12世から戴冠を受けた(オットーの戴冠)。ここでイタリア政策は、帝冠と引き換えに教皇・ローマを保護しつつ、反対勢力や競合王を抑える二面作戦となった。オットーはロンバルディア諸侯の再編と要地の掌握を進め、以後ドイツ王位とイタリア王位の連関が慣行化する。
教皇権との関係と保護権
オットー朝は教皇選出やローマ治安に介入し、保護権に基づく監督を及ぼした。962年の特許状群は教皇領と帝権の境界を画し、ローマ秩序を帝国の正統性に接続した。他方でイタリア政策は、教皇の自律化志向と不可避に摩擦を生む。叙任権や都市自治の拡大は、皇帝のイタリア介入に対する制度的・観念的な対抗軸を強め、のちの対立の火種となった。こうして帝国・教皇の二重権威は、相互依存と牽制を併存させる構図に定着する。
皇帝教会政策と支配手段
ドイツ側では「皇帝教会」体制が整えられ、司教・修道院長が帝国行政の担い手となった。この枠組みはイタリア経営にも及び、帝国伯や辺境伯の任置、交通路監督、関税・鋳貨権の統制など、法的優越を裏づける道具として機能した。象徴的にはマイン川・エルベ川方面における拠点整備やマジョリティ司教座の昇格などがあり、広域秩序のなかでイタリア政策が財政・司法に接続していった。
都市コムーネとロンバルディア同盟
12世紀、北イタリアの都市コムーネは独自の自治と軍事力を蓄え、皇帝の再来に抗した。シュタウフェン家のフリードリヒ1世はたびたび遠征し、ロンバルディア同盟と衝突した。レニャーノの戦い(1176年)の後、コンスタンツ条約(1183年)で都市の自治と皇帝権の法的関係が再定義される。ここでイタリア政策は、軍事的制圧から法的妥協へと軸足を移し、都市の規約・裁判権・課税権を階梯的に整理する方向に転じた。
フリードリヒ2世と南イタリア
13世紀のフリードリヒ2世はシチリア王国を基盤に、学術・行政改革と対教皇戦を並行させた。南の強固な王権と北の都市自治という二重構造は、皇帝の普遍主義を支えつつローマと鋭く対立させる。結果としてイタリア政策は、帝国全体の統合ではなく、地域ごとの法秩序と同盟網の調停へと細分化した。彼の没後、シュタウフェンの後継は揺らぎ、イタリアにおける帝権は断続的な介入へと後退する。
経済・軍事的意義と影響
アルプスのブレンナーやゴッタルドを押さえることは、塩・毛織物・香辛料の交易に直結した。イタリアからの収入と象徴資本は、ドイツ内政・外征の原資であり、帝冠の威信を具体化した。他方、頻繁な南下は君主の長期不在を招き、ドイツで諸侯権力の伸長を促した。10世紀半ばに外敵を退けた経験(たとえば東方境域の安定化)は、のちの南下余力を支えたが、やがてイタリア政策は国内統合とのトレードオフを露呈し、帝国の多元化を進める帰結となった。
用語・史料と研究上の視点
史料上、「Regnum Italicum(イタリア王国)」と「Imperium Romanum(帝国)」は重層的に用いられ、特許状・都市規約・教皇書簡が相互に参照される。外交儀礼、戴冠式次第、都市の通行税規程などミクロな文書の集合が、イタリア政策の実像を示す。研究上は、軍事遠征の成否だけでなく、法文化の競合と妥協、都市の合意形成、教皇・皇帝の権威演出を総合して把握することが要諦である。