アメリカ合衆国帝国主義
アメリカ合衆国帝国主義とは、19世紀末から20世紀前半にかけて、アメリカ合衆国が本土の領域拡大を越えて、カリブ海・太平洋・アジアへと政治的・軍事的・経済的影響力を広げていった動きと、その思想を指す概念である。しばしば「自由」や「文明化」「民主主義の拡大」といった理念を掲げながらも、実際には植民地支配や勢力圏の形成をともない、帝国主義時代の列強と同様の性格を示した点に特徴がある。
西漸運動と大陸帝国から海洋帝国へ
19世紀前半までのアメリカ合衆国は、主として北米大陸内部へ領土を拡大する「西漸運動」によって発展してきた。フロンティアの開拓や先住民の土地剝奪、メキシコからの割譲などにより「大陸帝国」としての性格を強めたが、これはまだ本土の連続した拡大であり、いわゆる海外植民地とは区別される。ところが19世紀後半になると、工業化の進展と人口増加、余剰資本の投資先の必要性などから、海外市場と海軍基地の確保が政治課題となり、列強と同様の海洋帝国形成を志向するようになった。
モンロー主義とカリブ海への進出
モンロー宣言以来、アメリカは「ヨーロッパによるアメリカ大陸への干渉拒否」を掲げてきたが、19世紀末になるとこれは逆に、アメリカ合衆国自身の勢力圏をカリブ海・中南米に拡大する論理として用いられた。とくにキューバ独立問題をめぐって起こったスペイン・アメリカ戦争では、反スペイン感情や人道的介入を名目に軍事行動を行い、戦後にプエルトリコやグアムの獲得、キューバへの保護国的支配などを実現した。このようにモンロー主義は、防御的原則から、実質的な地域覇権の正当化原理へと変質していった。
ハワイ併合と太平洋への拡大
太平洋方面では、サトウキビ栽培と商業活動を通じてハワイ併合への動きが進み、1898年にハワイは正式にアメリカ領となった。これは軍事的には真珠湾海軍基地の確保を意味し、経済的にはアジア市場への中継地として重要であった。同時に、サモアやグアムなど太平洋諸島の獲得も進み、アメリカは大西洋と太平洋をまたぐ海洋帝国としての性格を強めていった。
スペイン・アメリカ戦争とフィリピン支配
スペイン・アメリカ戦争の結果、アメリカはカリブ海だけでなく太平洋にも支配を広げた。フィリピンではスペインからの譲渡を受けたあとも、現地の独立運動を武力で抑えこみ、事実上の植民地支配を行った。これは「独立支援」を標榜しながらも、実際には新たな宗主国となるという構図であり、アメリカ国内でも激しい論争を引き起こした。反帝国主義者は、建国の理念と植民地支配の矛盾を指摘し、フィリピン併合が共和国の性格を損なうと批判した。
中国への進出と門戸開放政策
19世紀末、列強による中国分割が進むと、アメリカは後発国として列強の勢力範囲に入りこむ必要に迫られた。国務長官ジョン・ヘイが提唱した門戸開放宣言は、中国における領土保全と機会均等を主張し、特定列強による独占を牽制するものであった。一見すると反帝国主義的なスローガンであったが、実際にはアメリカ資本が中国市場へ自由に参入する条件を求める外交方針であり、経済的帝国主義の一形態と評価される。
ウィルソン外交と第一次世界大戦
第一次世界大戦期のウィルソン大統領は、「民族自決」や「民主主義のための戦い」といった理想主義的スローガンを掲げた。これはヨーロッパの帝国主義秩序を批判する側面を持ちながらも、アメリカの指導力の下で新しい国際秩序を築こうとする構想であり、別のかたちの覇権構想とも理解される。戦後もラテンアメリカにおける軍事介入や保護国化政策は継続し、理念と現実のあいだに大きな隔たりが存在した。
アメリカ合衆国帝国主義の特徴と影響
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「自由」「民主主義」「文明化」といった普遍的価値の名のもとに行われ、帝国主義的行動が道徳的使命として正当化されやすかった点。
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本国への直接編入だけでなく、保護国化・勢力圏化・経済的支配など、多様な支配形態を用いた点。
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カリブ海・太平洋・東アジアといった広い地域にまたがり、グローバルな政治・経済構造の形成に大きく寄与した点。
このような特徴を持つアメリカ合衆国帝国主義は、植民地支配から形式的独立へと移行した後も、軍事同盟や経済援助、基地の恒久的設置などを通じて形を変えながら継続したと捉えられることが多い。その歴史的展開を理解することは、近現代の国際秩序や、現在に至るアメリカ合衆国の世界政策を考えるうえで不可欠である。