いざなぎ景気|戦後最長を記録した高度経済成長の黄金期

いざなぎ景気

いざなぎ景気とは、1965年(昭和40年)11月から1970年(昭和45年)7月まで、57ヶ月間にわたって継続した戦後日本における大型の景気拡大局面を指し、高度経済成長の黄金期として記録されている。

景気拡大の背景と呼称の由来

いざなぎ景気は、1964年の東京オリンピック後に発生した「昭和40年不況」を脱する形で始まった。この好景気の名称は、日本神話において日本列島を創造したとされる神「イザナギノミコト」に因んで名付けられた。これは、1950年代の「神武景気」や1950年代末の「岩戸景気」を期間と規模の両面で凌駕し、神代にまで遡るほどの前例のない繁栄であることを象徴している。この時期、池田勇人政権が掲げた所得倍増計画の成果が実を結び、実質経済成長率は年平均で10%を超える驚異的な数字を記録し続けた。

「新・三種の神器」と消費革命の進展

いざなぎ景気を力強く牽引した最大の要因は、旺盛な個人消費とそれに伴う消費構造の変化である。この時代、国民の所得水準が劇的に向上したことで、かつての白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫に代わる「新・三種の神器」として「3C」が急速に普及した。3Cとは、カラーテレビ (Color TV)、クーラー (Cooler)、自家用車 (Car) の頭文字を取ったものであり、これらの耐久消費財の普及は人々のライフスタイルを一変させた。特に自動車産業の発展は、部品メーカーを含む広範な関連産業の成長を促し、日本経済の屋台骨を形成するに至った。

設備投資の増大と産業構造の高度化

企業部門における積極的な設備投資も、いざなぎ景気を支える重要な柱となった。技術革新を背景に、鉄鋼、石油化学、造船、電気機械などの重化学工業が飛躍的な発展を遂げ、国際競争力が大幅に強化された。企業は将来の成長を見越して大規模な工場建設や自動化ラインの導入を進め、生産効率を極限まで高めた。こうした民間の投資意欲は、佐藤栄作政権下での安定的な政治状況と、インフラ整備を主導した政府の経済政策によってさらに加速され、日本は「世界の工場」としての地位を確立していくこととなった。

国際的地位の確立と経済大国への躍進

いざなぎ景気の期間中に、日本経済は国際社会において決定的な存在感を示すこととなった。1968年(昭和43年)には、日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを追い抜き、アメリカ合衆国に次いで資本主義世界で第2位の経済大国に躍り出た。これは明治以降の日本の目標であった欧米へのキャッチアップを一つの形として達成した瞬間であり、日本人の自信を大きく深める契機となった。また、輸出の拡大により外貨準備高も積み上がり、慢性的な赤字に悩まされていた国際収支も黒字基調へと転換し、「天井」のない成長が可能となったのである。

金融政策の役割と景気管理の動向

景気の過熱を抑制しつつ持続的な成長を図るため、日本銀行による金融政策も緻密に行われた。景気が過熱し物価上昇や国際収支の悪化が懸念される局面では、公定歩合の引き上げといった「金融引き締め」が実施され、景気の冷え込みが見られると速やかに緩和策が採られた。いざなぎ景気の後半には、世界的なインフレの波が押し寄せたものの、機動的な財政・金融政策の組み合わせによって、急激な失速を避けながら成長の波を維持することに成功した。この時期の政策運営は、戦後日本経済の成熟度を示すものとして高く評価されている。

景気の終焉と安定成長への転換

長期にわたったいざなぎ景気も、1970年代に入ると国際情勢の激変によって終止符を打つこととなった。1971年のニクソン・ショックによる円の切り上げや、1973年の第1次オイルショックは、安価な石油と固定相場制を前提としていた日本の高度成長モデルを根本から揺るがした。これにより、日本経済は「爆発的な拡大」の時代から、インフレ抑制とエネルギー節約を重視する「安定成長」の時代へと移行を余儀なくされた。しかし、この好景気を通じて蓄積された資本と技術力は、その後の厳しい経済環境を乗り越えるための強固な基盤となった。

産業公害の発生と社会的代償

いざなぎ景気がもたらした繁栄の影で、急速な工業化に伴う深刻な公害問題が全国各地で顕在化したことも忘れてはならない。大気汚染や水質汚濁は国民の健康を脅かし、四大公害裁判などを通じて企業の社会的責任が厳しく問われるようになった。この時期の反省から、1970年の「公害国会」を経て環境規制が強化され、日本企業は公害防止技術の開発に取り組むこととなった。経済成長至上主義から、環境や生活の質を重視する持続可能な社会への意識転換が始まったのも、この時代の重要な側面である。

現代に受け継がれるいざなぎ景気の遺産

いざなぎ景気は、単なる過去の経済事象にとどまらず、現在の日本の産業構造や消費文化の原型を形作った画期的な時代であった。2000年代に入り、景気回復期間がこの57ヶ月を超えた際には「いざなぎ超え」という言葉が盛んに使われたが、成長率の高さや社会全体に漲っていた活気の面では、今なおこの時代を特別なものとして捉える視点が多い。当時の技術革新への情熱や、中流階級という意識の芽生えは、日本社会のアイデンティティを形成する上で不可欠な要素となっており、その教訓は今日の経済運営においても参照され続けている。