雄呂血|阪東妻三郎の熱演光る時代劇の金字塔

雄呂血

雄呂血(おろち)は、1925年(大正14年)11月20日に公開された日本映画の傑作であり、サイレント映画時代の剣戟(けんげき)映画の頂点とされる作品である。監督は二川文太郎、脚本は寿々喜多呂九平、そして主演は「バンツマ」の愛称で国民的人気を博した阪東妻三郎が務めた。当時の時代劇が持っていた勧善懲悪の様式美を打破し、社会の不条理に対する怒りや、追い詰められた人間の孤独をリアルな殺陣とダイナミックな演出で描いた本作は、日本映画史におけるリアリズムの先駆けとなった。

製作の背景と革新性

雄呂血の製作当時、日本の活動写真界では歌舞伎の延長線上にある様式的な立ち回りが主流であった。しかし、主演の阪東妻三郎は、より激しく、より感情を露わにする表現を求めた。脚本を担当した寿々喜多呂九平は、当時の社会情勢や民衆の閉塞感を反映させた虚無主義(ニヒリズム)的なヒーロー像を創出し、これに二川監督のスピード感溢れる撮影手法が合致した。もともとは『無頼漢』というタイトルで企画されていたが、検閲官による懸念を避けるために、伝説上の怪物になぞらえた雄呂血という名称に変更されたという経緯がある。本作は、これまでの「正しい者が勝つ」という予定調和を覆し、社会から不当に虐げられた者が破滅へと向かう悲劇性を浮き彫りにした。

物語のあらすじと登場人物

物語の主人公、久利富平三郎は、正直で正義感の強い青年武士である。しかし、その真っ直ぐな性格が災いし、上官の不正を告発しようとしたことで逆に罪を被せられ、藩を追放されてしまう。浪人となった平三郎は、その後も善行を積もうとするたびに周囲の誤解を受け、「悪人」のレッテルを貼られていく。愛する女性を守ろうとする行為さえも世間からは暴力と見なされ、彼は次第に自暴自棄へと追い込まれていく。雄呂血というタイトルは、世間から怪物(悪人)と見なされながらも、真実の心を持つ男の孤独な咆哮を象徴している。

伝説的な殺陣と撮影技術

雄呂血を語る上で欠かせないのが、クライマックスにおける壮絶な殺陣のシーンである。数十人の捕り方を相手に、阪東妻三郎が髪を振り乱しながら戦う場面は、それまでの舞踊のような殺陣とは一線を画すものであった。

  • **リアリズムの追求**: 刀を振り回すだけでなく、体当たりや転倒を含めた泥臭いアクション。
  • **移動撮影の活用**: 激しく動く役者を追いかけるカメラワークが臨場感を生んだ。
  • **表情のクローズアップ**: 主人公の絶望と狂気を捉えた阪東妻三郎の演技。
  • **群衆演出**: 圧倒的な人数による包囲網が、個人の無力さと抵抗を際立たせた。

主要キャストとスタッフ

本作は阪東妻三郎プロダクションの第一回作品として製作され、新進気鋭のスタッフが集結した。この協力体制が、後の無声映画期における黄金時代を築く礎となった。

役職・役名 氏名
監督 二川文太郎
脚本 寿々喜多呂九平
主演(久利富平三郎) 阪東妻三郎
撮影 石本秀雄

社会的評価と後世への影響

公開当時、雄呂血は若者を中心に熱狂的な支持を受けた。社会の底辺で苦しむ人々の代弁者としての主人公像は、大正デモクラシーの終焉と軍国主義の足音が近づく不穏な時代の空気に合致していたのである。本作の影響により、時代劇は単なるエンターテインメントから、現代社会への批評性を持つ芸術ジャンルへと進化を遂げた。現代においても、日本映画の古典としてフィルムセンターなどで上映され続けており、その圧倒的なエネルギーは色あせることがない。不条理に対する個人の抵抗というテーマは普遍的であり、後の多くの映画監督や俳優に多大なインスピレーションを与え続けている。

現代における保存と修復

サイレント映画の多くが散逸・焼失する中で、雄呂血は比較的良好な状態でフィルムが現存している。デジタル修復版の製作も行われており、活動弁士による活弁付きの上映会などで、当時の熱気を再現する試みが続けられている。映画の冒頭に掲げられる「世の人が悪人と呼ぶ者の中に、どれほど多くの善人がいることか」という字幕は、本作の精神を象徴する言葉として今なお人々の心に深く刻まれている。