高句麗|朝鮮半島を支配した古代朝鮮の王国

高句麗

高句麗(前1世紀頃~668)は中国東北地方南部の鴨緑江中流域を中心にツングース系の貊族が建てた国である。魏によって遼東の公孫氏が滅ぼされると、これに乗じて朝鮮半島の北部一帯に勢力をのばし、313年楽浪郡を滅ぼして、朝鮮北部を領有した。4-6世紀初めに全盛期を迎え、5世紀に平壌に遷都した。同じ朝鮮半島の百済・新羅を圧迫し、7世紀には隋・唐の攻撃を撃退したが、唐・新羅の連合軍に滅ぼされた。

貊族

貊族は、古代、中国東北地方から朝鮮半島東北部に居住していた民族である。ツングース系と考えられており、狩猟・牧畜を主とし、夫余・高句麗の建国の中心となった。

夫余(扶余)

夫余(扶余)(前1世紀ー494)とは、貊族が、中国文化の影響を受けて中国東北地方に建てた国である。1~3世紀が全盛であったが、鮮卑・高句麗と対立して衰退し、494年高句麗の攻撃を受けて滅びた。

高句麗の勃興

高句麗は、紀元前後、中国東北地方の南部におこったツングース系の国家で夫余を圧迫した。3世紀半ば、魏が遼東の公孫氏に侵攻すると、これに呼応して、朝鮮半島の北の領域まで占領した。

楽浪郡

313年、朝鮮半島に勢力をもっていた楽浪郡に侵攻した。

丸都城

丸都城(国内城)は、鴨緑江中流域北岸に位置し、現在の中国吉林省集安市にあたる。2世紀末から高句麗の王都がおかれた。

広開土王

広開土王(好太王)(374~412)は高句麗の第19代の王(在位391~412)で高句麗の全盛期の王である。朝鮮半島南部に進出して、百済・新羅を圧迫した。倭の侵攻を防ぎ、子の長寿王により、王の業績をたたえる広開土王碑が丸都城に建立された。

長寿王

長寿王(位412~490)は広開土王の子で、都を鴨緑江中流の丸都城(しゅうあん)から大同江畔の平壌に移し、遼東地方を領有した。

北魏、南朝との交流

高句麗は、北魏に朝貢するとともに南朝とも通交した。