陳勝・呉広の乱
陳勝・呉広の乱(前209~前208)始皇帝の死後の翌年、秦で起きた農民反乱である。秦滅亡のきっかけとなった。長城(万里の長城)の防備に徴発された陳勝と呉広が斬首を恐れて挙兵し、河南を制圧した。秦軍の反撃と内部分裂により6カ月で鎮圧された。
陳勝・呉広の乱のきっかけ
陳勝はもと日雇いで三言をたてていた貧しい農民で、北辺を守信する兵士して徴発されたが、期間内に目的地である河北に到着できないことが明らかになると、斬罪になるのを恐れて呉広らと引率の隊長を斬り反乱をおこした(前209)。はじめは小規模な反乱であったが、秦の拠点を次々に攻略し、河南に張楚という小さな王朝をたてるようになると、秦の圧政に苦しむ農民の支持をえてその規模も拡大した。
全国への広がり
陳勝・呉広による反乱は、秦軍の圧力や内部の離反によりわずか6カ月で鎮圧された。しかし、この反乱をきっかけに抑圧していた中国全土で、反乱が起こる。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや
陳勝の言葉で、小人物には大人物の遠大な心はわからなないという意味で、貧しい農民の反抗精神を象徴している。
王侯将相いずくんぞあらんや
陳勝の言葉で、帝王や諸侯将軍や大臣にどうして血筋などあろうか、ありはしないとし、生まれや家柄などを問題にしない戦国時代以来の実力主義の精神を表している。