西域36国
西域とは、中国人が古くから中国西方諸国の総称として用いた名称で、広義ではペルシア・小アジア・シリア・エジプト方面からネパール・インドまで、ときには青海・チベット方面をも含める。狭義では、タリム盆地すなわち東トルキスタンのオアシス国家群をいう。漢代に東トルキスタンのオアシス諸国が匈奴の支配下にあったとき、それらの国は西域36国と総称され、その後も数世紀間、実数にかかわりなく36国と呼ばれた。
西域
聖域とは、中国人が西方の内陸アジア諸国を指した呼称である。時代によりその範囲を異にするが、漢の時代には東トルキスタンのタリム盆地周辺のオアシス都市国家群を指した。
烏孫国
烏孫国は天山山脈北方でくらしていた遊牧民族によって作られた国家であった。匈奴に手を焼いていた漢の武帝は、張騫(張騫)を送り込み、匈奴を挟み撃ちにするための軍事同盟を結ぶ。
大月氏国
大月氏国は、もともとはモンゴル高原や中央アジアで暮らしていた遊牧民であったが、匈奴や烏孫に追いやられ、アム川上流のソグディアナ・バクトリア地方で作った大月氏国を建国した。大夏への侵攻をきっかけにギリシア文化が入り込んだ。
『漢書』
西域36国の国々について、『漢書』の西域伝によって現代に知られている。
シルクロード
漢が西域36ヵ国を抑えたことで、漢、クシャーナ朝、ローマ帝国への導線ができあがり、各国の交易が栄えた。綿をはじめ、様々な人や物が交差し、のちにシルクロードと呼ばれるようになる。