藤原良房|藤原冬嗣の意志を継ぐ藤原北家の公卿

藤原良房

藤原良房は、平安時代に活躍した公卿である。藤原北家の躍進の基盤を築いた藤原冬嗣の子で、天皇の外戚として権力を握り、伴・橘・紀氏を排斥して、藤原北家の磐石なものにした。

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天皇家の外戚

826年(天長3)、藤原良房は父の藤原冬嗣の死によって後ろ盾を失う。しかし、翌年、正良親王(まさら)(のちの仁明天皇)の妃だった妹の順子が道康親王(みちやす)(のちの文徳天皇)を出産した。天皇家の外戚となった藤原良房はこれをきっかけに躍進することとなる。

惟仁親王

842年(承和9)、嵯峨上皇の崩御にともない、東宮坊帯刀伴健岑と但馬権守橘逸勢の両者が造反の疑いで流刑にあうという承和の変がおこると、順子の産んだ道康親王を立太子させることに成功すると、文徳天皇の下、太政大臣に選任された。天皇は在位8年で逝去する。そこで、天皇と良房の娘である明子(あきらけいこ)の間に生まれた9歳の惟仁親王(これひと)が即位し、清和天皇が誕生した。藤原良房は外祖にあたり、摂政に近い役割を担うようになり、権力を断固のものとした。

応天門の変

866年(貞観8)には、応天門に火が放たれるという応天門の変が起こる。大納言であった伴善男は左大臣であった源信であると訴えたが、藤原良房はそれを認めず、逆に密告があったとして伴善男が有罪となった。この応天門の変によって伴氏、紀氏といった名族が失脚し、藤原氏の権力基盤はより強固なものとなる。応天門の変の最中、藤原良房は皇族以外では初めての摂政に任命された。