藤原四子
藤原不比等の4人の息子で藤原不比等の死後、政治の中枢で活躍することになる。藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂の四人であり、長屋王の変で長屋王が自害するに追い込み、これをきっかけに実権を握ることとなる。
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藤原武智麻呂
藤原武智麻呂(ふじわらのむちまお)は藤原不比等の長男で、長屋王の変から1ヶ月後に大納言に就任し、その後左大臣を務めた。聖武天皇の片腕として政務を助けた。
藤原房前
藤原房前(ふじわらのふささき)は兄、藤原武智麻呂のため出世は遅れたとされるが、政治力は長けていたと言われている。死後に太政大臣が追贈された。
藤原宇合
藤原宇合(ふじわらのうまかい)は、遣唐副使として唐に入った経験をもち、長屋王の政権下では蝦夷を平定するなどの活躍した。長屋王の変では先頭に立ち、長屋王の主邸を囲んだ。
藤原麻呂
藤原麻呂(ふじわらのまろ)は、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合の3人の異母弟で、天武天皇の皇子である新田部(にいたべ)親王の異父弟である。歌人として評価が高く、『懐風藻』や『万葉集』にも収められている。