縦横家
縦横家は、戦国時代に諸国を遊説し、諸国を対抗させたり、連合させたりして外交的なかけひきを行った策士たちである。蘇秦と張儀がその代表的な人物で、蘇秦は、韓・魏・趙・燕・楚・斉の六国が連合する合従の策、張儀は、それぞれが秦と和議を結ぶ「連衡の策」を説いた。
合従・連衡
戦国時代末期の秦をめぐる二つの外交政策で、巨大化する秦に対する各国の対応がわかる。
- 合従:西方の秦に対し、他の6国が同盟して対抗する策。
- 連衡:秦が6国のそれぞれと単独で同盟する策。
蘇秦
蘇秦(?~前317)は縦横家である。洛陽の出身。強大化した秦に対抗するために、韓・魏・趙・燕・楚・斉の六国が縦に連合する合従策を説いた。見事、6国の同盟に成功して宰相となったが、張儀の連衡策に敗れて失脚し、斉で殺された。
張儀
張儀(?~前310)は縦横家。魏の出身。秦の宰相となり、連衡策を説き、合従策を論破した。のち、連衡策も破綻たし、秦を去り親に仕えた。秦に仕えた張儀が楚をだまして滅ぼしたとき、張儀の策に乗せられた王を諫めたために江南の地に流された屈原が、憂国の情を「離騒」にうたい、淵に身を投じた悲劇は有名である。
『戦国策』
戦国時代の縦横家らの策を国別に集録したもの。作者不明。12策からなり、晋が韓・魏・趙に3分してから燕の滅亡までを記録した。