突厥|モンゴル高原を支配したトルコ系遊牧騎馬民族

突厥

突厥(552~744)とは、アルタイ山脈を本拠地とするトルコ系遊牧騎馬民族の国家。当初は、柔然に服属していたが、6世紀頃、アルタイ山脈の鉱物であった鉄とその製鉄技術と草原の道とよばれる交易の利益を背景に大帝国を建設した。その後、突厥は東西に分かれることとなる。東突厥は一時栄えたが、結局は両者とも滅亡した。

目次

柔然の征服

突厥は柔然の支配を受けていたが、552年に独立、555年には、突厥の君主・木汗可汗により柔然を滅ぼした。その後、契丹、キルギスをも支配下においた。

エフタルの征服

567年、ササン朝ペルシアのホスロー1世と同盟を結び、エフタルを滅亡した。これにより、モンゴル高原からカスピ海にいたる大帝国を樹立した。突厥の国家は、中央を大可汗が支配し、末端は多くの小可汗が分裂していた。

突厥の東西分裂

583年、突厥は小可汗が独立戦争をおこして、内紛が勃発、東西が分裂した。モンゴル高原を本拠地とする東側を東突厥、中央アジアを本拠地とする西側を西突厥という。

東突厥

隋との力関係で劣勢となった東突厥は隋に服属したが、隋が滅びると勢力を回復したが、やがて内紛と唐の攻撃により、630年に東突厥国家(第一可汗帝国)は崩壊する。

第二可汗帝国

以後、東突厥は唐の羈縻の支配下に入らざるをえなかったが、682年、唐の支配下から離脱し、ふたたび第二可汗帝国と呼ばれる強大な国家を樹立した。なお、第二可汗帝国は、8世紀初めウイグル族に討たれて滅亡する。

西突厥

652年、西突厥は、唐の攻撃をうけて滅亡した。なお、突厥はアラム文字に由来する突厥文字をつくったが、これは内陸アジア遊牧民が使用した最初の文字である。